四條畷市立教育文化センター
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(信貴山朝護孫子寺公式ホームページより抜粋)
本堂に上がると、一同、「まあー、素晴らしいながめ」と、異口同音に発していました。
昭和53年3月15日 平群町指定文化財 鎌倉時代末期
明治34年3月27日 平群町指定文化財 工芸
生駒山地の南東、信貴山尾嶽(海抜433メートル)を中心とした城跡で、東西550メートル、南北700メートルあり、奈良県で最大規模の中世城郭である。
命蓮上人が竜王の教えを蒙り、信貴山縁起絵巻(飛倉の巻)の如く、空鉢を飛ばして倉を飛び返らせ、驚き嘆く長者に慈悲の心を諭して福徳を授けたという出来事に由来する。
・成福院の石室十三仏
跡
・石室仏(通称、奥壁物)
王も逗留されたことがあり、南朝に与した歴史を物語る貴重な石仏である。
朝護孫子寺開山堂のぼり口に建つこの石仏は、高さ66センチ、幅61センチで、仏身は16センチある。







朝護孫子寺を後にした一行は、越智氏の菩提寺、高取町の光雲寺に向かいました。
浅見さんは、「越智氏、楠木氏関連記事」と題する資料(A4版3ページ)をご準備くださり、越智氏と楠氏の関わりを中心に、南北朝期の越智氏の事績を詳しくお話しくださいました。
黄檗宗大本山萬福寺末で、越智山と号し、この寺はもと興雲寺といい、越智氏の菩提寺である。天正17年(1589)、郡山城主豊臣秀長と戦って利なく、以来家名挙がらず、荒涼100余年に及んだ。天和年中(1681~1684)に至って、鉄牛禅師の再興に会し、これ以来光雲寺の文字を用いた。
大和の国の中世史は、高取町を本拠地とする越智氏と、大和郡山市を本拠地とする筒井氏の派遣争奪の戦いの歴史そのものだった。〒575-0021
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