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高齢者・子どもたちの笑顔あふれる街 四條畷市立教育文化センターは

四條畷市立教育文化センター
お問い合わせはTEL.072-878-0020

〒575-0021 大阪府四條畷市南野5丁目2-16
 

過去のイベント紹介

平成25年 平成26年 平成27年 平成28年 平成29年 平成30年 令和元年 令和2年
令和3年① 令和3年② 令和4年①  令和5年①  令和5年楠正行の会    令和6年  

平成31年・令和元年度 開催のイベント

教文 「クリスマス会!」

日時 令和元年12月19日(木) 午前10時より11時40分
場所 教育文化センター ホール・会議室1 
イベント内容 みんなで「あわてんぼうのサンタクロース」を歌って、お母さんとフォークダンスの練習をしました。そして、絵本の読み聞かせの後に、赤の靴下を作り、飾り付けと名前を書いてサンタさんが来るのを待ちました。お母さんのハンドベル演奏が終わった頃に、サンタさんがお菓子のプレゼントを持って来てくれました。お礼に歌をうたって写真も撮りました。◎

   

四條畷楠正行の会 第58回例会 

日 時 ■第58回例会 (忘年懇親会)
令和元年1210日(火)午前11時~午後2
場 所 かごの屋
<例会の様子>
 ●今月は例会を兼ねた懇親忘年会です。
 昨年同様、国道163号巣本にある「かごの屋」での忘年会です。
 報告事項も結構ありましたので、冒頭の15分ぐらいを使い、簡単な例会としました。食事を前に気もそぞろという感じでしたが、大事なお知らせもありましたので、しっかり伝えました。
 令和2年度の事業として「楠正行研究論文の大募集」(実施要項・チラシ等ご参照)を実施します。
 また、令和2年度は、ゆかりの人物シリーズをいったんお休みし、「改めて、正行に迫る!」と題して、正行の出自・正行軍団・楠一党・正行の軍略・四條畷の合戦・教科書に載った正行・正行を取り巻く僧職と北朝天皇・江戸期の楠モノに見る正行をテーマに取り組みます。
 現地学習は5月に石清水八幡宮、11月に住吉大社と北畠神社を計画しています。
内容は未定ですが、大阪電気通信大学との産学連携事業・社会プロジェクト実習授業はテーマを変えて継続実施の予定です。
 論文募集とかかわり、私たちの会のブックレット「小楠公」を創刊しますと、矢継ぎ早にアナウンスしました。
 この後は、出された食事に舌鼓を打ちながら、平成から令和に変わった今年1年間を振り返りながら、3時間近くの談笑が続きました。
↑忘年懇親会の様子(巣本「かごの屋」で)

楠正行通信第101号(1210日発行)
1124 下田原集会所で、「3世代で交流し楽しく遊びながら学ぶ集い」で
 かるた取りイベント開催

・楠正行ポスターセッション第2弾、1117神戸湊川神社で開催し多くの参詣者
 と対話・交流
楠正行顕彰の活動を、楽しく各地で開催!~第99号続編
※楠正行通信第102号(1212日発行)
・四條畷市制施行50周年協力・四條畷楠正行発足5周年記念事業
・楠正行に関する研究論文大募集!
〆切531日(日)必着 最優秀賞に金10万円と記念品

四條畷楠正行の会からのインフォメーション
「活動の記録」「令和2年の活動予定」「楠正行に関する研究論文応募申請書」「チラシ」は、クリックしていただきますと該当ページ(PDF)に飛びます。プリントアウトしてご覧・ご使用ください。              
論文の応募、お待ちしています。

過去5年間の活動の記録 ←クリックで開きます

令和2年の活動の予定 ←クリックで開きます

楠正行に関する研究論文募集要項  ←クリックで開きます


        令和2年度 四條畷市制施行50周年協賛事業
          楠正行に関する研究論文 大募集!
  募集要項
1 趣旨
・ 四條畷市は、南北朝時代の正平3年(134815日、四條畷の合戦で、足利
 尊氏の執事・高師直4万騎とわずか千騎の寡兵で戦い、23歳の若さで討死した
 楠正行が眠る町です。 
  四條畷楠正行の会は、この楠正行について学び・顕彰し、次代を担う子ども
 たちを通じて後世に長く広く語り継ぐことを目的に活動しています。
  そして、楠正行に関する史料が少ない中、新たな史料発見や関連情報等の
 収集・検証に努め、今まで分からなかった楠正行の実像を少しづつ明らかに
 してきました。
  その成果は、四條畷市立教育文化センターのホームページに公表しています。
  今回、楠正行研究を更に広い視野・分野・領域から進めるとともに、楠正行
 顕彰の輪を全国に広げることを目的に、楠正行に関する研究論文を公募します

  多くの皆様のご応募をお待ちしております。
 2 募集内容

 ①論文テーマ
  
具体的テーマについては、史学、歴史、美術、文学、民俗、芸能等の幅広い
  分野から自由課題とします。
  一例として「楠正行に学ぶ楠公精神とは何か」をチラシに例示します。
 ②文字数制限
  400字詰め原稿用紙30枚以内
  応募原稿はワードで作成し、紙ベースで提出してください。
  入賞作品に決定した際、データで再提出していただきます。
 ③応募資格
  18歳以上の個人(令和2年4月1日現在)
 ④入賞
   2作品
   最優秀賞 1作品
   優良賞  1作品
 ⑤表彰賞金
   最優秀賞 10万円+記念品
   優良賞   3万円+記念品
 ⑥表彰の要件
  ・令和2年5月31日(日)までに論文を提出してください。
  ・表彰は、令和3年3月開催予定の第9回楠正行シンポジウムで行います
   ので出席してください。
  ・論文は未発表に限ります。
 3 応募方法
 ・応募は、応募申請書と論文の提出によります。応募申請者は四條畷市立教育
  文化センターのホームページからダウンロードできます。
  郵送ご希望の方は下記提出先までご請求ください。
  四條畷市立教育文化センターHPアドレス http://nawate-kyobun.jp/
 ・応募は郵送のみとします。(※EメールやFAXでの申請はできません)
 令和2年5月31日(日)必着とします。
 《提出書類》 応募申請書    1部
        応募論文     1部
 《提出先》  四條畷市立教育文化センター内 四條畷楠正行の会
        〒575-0021 大阪府四條畷市南野5丁目2番16号
                     電話 072-878-0020
 4 選考方法と選考結果通知

 ・選考は、応募論文をもとに東四條畷市長、安本産経新聞編集委員、四條畷
  楠正行の会扇谷の3人で構成する審査会で行います。
 ・選考結果については令和2年6月初旬ごろに本人宛に文書で通知します。
  また、四條畷市立教育文化センターのホームページ上にも掲載・公表します。
 ・選考経過・採否の理由についてのご照会には回答できませんのでご了承くだ
  さい。 
5 その他  
 ・提出された応募申請書、論文は返却しませんので、ご了承ください。
 ・応募書類に記入いただきました個人情報は、選考及び選考結果の通知、表彰
  賞金の支給のために使用します。なお、表彰作品については、賞金対象者の
  お名前・所属・論文テーマ等を公表します。
 ・後援/四條畷市・四條畷市教育委員会・四條畷神社・産経新聞社・奈良新聞
  社・四條畷市立教育文化センター
 
 【問い合わせ先】
  〒575-0012  大阪府四條畷市下田原1289番地

          四條畷楠正行の会 代表 扇谷昭
          ☎ 090-3034-8288

          FAX 0743-72-3787

応募申請書
 ←クリックで開きます

第8回シンポジウムチラシ ←クリックで開きます

マンダラチャート「楠公精神を知る」←クリックで開きます

最近知りましたマンダラチャートです。早速、楠公精神を知るという思いを表現してみました。あくまでも、ご参考まで!

8回楠正行シンポジウム開催します。

日時 令和237日(土)14001600
場所 四條畷市民総合センター・展示ホール
内容 絵本作家・観光大使谷口智則さんによる「ライブペインティング楠正行」
    絵本「楠正行」読み聞かせ
   絵本作家・谷口智則さんが初めて描く人物画です。
 大きなキャンパスに、谷口さんがどのような楠正行を描くのか、乞う、ご期待で す!
申し込み方法 225日締め切り
 往復はがきに、住所、氏名、年齢、電話番号、返信用宛名、申し込み人数(
1枚 につき2名まで申し込み可能です。
 ただし、子どもさんにつきましては何人でも結構です。)をご記入のうえ、下記 まで郵送してください。
 225日(火)当日消印有効です。
 抽選結果は返信用はがきでご通知します。
 ◆往復はがき郵送・お問い合わせ先
     〒575-0052 四條畷市中野3-5-25
     四條畷市立公民館(市民総合センター)
           電話 072-879-3939
  主催 四條畷楠正行の会
  共催 四條畷市教育委員会・なわて学実行委員会

  後援 四條畷市・四條畷神社・楠公ツーリズム推進協議会・産経新聞社
  協力 御妣会・小楠公偲ぶ会
 □募集チラシ

●次回例会について
 
日時 114日(火)午後130分~
 場所 四條畷市立教育文化センター2階 会議室
 内容 ・令和1年収支決算報告
   ・楠正行の出自/一族の系譜を探る
   ・第8回楠正行シンポジウムについて
   ・楠正行に関する研究論文大募集について
   ・その他
●傍聴、入会大歓迎!
郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、一緒に学びませんか
例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです
お気軽に、教育文化センターの1階・会議室を覗いてください。お待ちしております。
1月例会、お待ちしています。


正行通信 第101号はコチラからも(PDF)
正行通信 第102号はコチラからも(PDF)


教文
「親子体操教室で石焼き芋!」

日時 令和元年11月21日(木) 午前10時より
場所 教育文化センター ホール・会議室1 
イベント内容 親子体操のみんなでお芋を洗い、アルミホィールに包んで名前を書いて、窯の中に並べて小石を被せました。
待つこと30分、出来立てのホクホクを食べました。甘くて美味しかった。

四條畷楠正行の会 第57回例会 

日時 ■第57回例会 
■令和元年1112日(火)午後1時30分~3
場所 ■四條畷市立教育文化センター ホール
<例会の様子>
 ●お蔭様で創設5周年を迎えました。
 
私たちの会は、四條畷市立教育文化センターが開講しました市民教養講座「楠正行の人間像に迫る」4回連続講座の受講生8名で、平成2611月にスタートしました。
 地域の歴史をもっと学びたい、地域ゆかりの人物・楠正行についてもっと知りたい、との強い思いを持った創設メンバーと相談し、楠正行という人物を深掘りするため、楠正行が影響を受けたであろう歴史上の人物、また楠正行が影響を与えたと思われる歴史上の人物を、毎月一人取り上げ、学んできました。
 第1回の後醍醐天皇に始まり、今月の近衛経忠まで、この5年間に41人の歴史上の人物を取り上げました。お蔭様で、今まで見えなかった、分からなかった多くの事を学び、知ることができました。
 そして、現地学習と称して、外に出かけ、正行の事跡に触れることも実施し、湊川神社(神戸市)、金剛寺・摩尼院(河内長野市)、如意輪寺(吉野町)、四位殿神社(上北山村)、大廣寺(池田市)、建水分神社(千早赤阪村)をそれぞれ訪れ、2回に分けて四條畷の合戦の痕跡を訪ねて歩くシリーズ(東大阪市~大東市~四條畷市)も実施しました。
 平成30年度からは四條畷市主催で開かれてきました「楠正行シンポジウム」事業を継承し、私たちの会主催で開催をしています。
 今までの活動にご支援・ご協力いただきました皆様にお礼を申し上げますと同時に、感謝を申し上げます。
 今後ともよろしくお願いします。

楠正行通信、お蔭様で100号記念号発行!
 楠正行通信が100号を迎えました。
 例会で学びました内容のリポート(翌月例会日に発行)を中心に、私たちの活動紹介などを掲載する楠正行通信を発行しています。
 そして、この通信は、四條畷市立教育文化センターのご協力を得まして、同センターの公式ホームページに毎月アップをさせて頂いています。
 私たちの活動を知っていただくことができます。
 そして、楠正行に関する情報が満載です。楠氏フアン、正行フアンの皆様、是非ご覧ください。そして、ご意見をお寄せください。お待ちしております。


 
              ↑ 11月例会の様子
楠正行通信第98号(1112日発行)
・延元元年、常陸国瓜連城で佐竹と戦った楠正家~四條畷市史に載るも謎の人物
素鵞神社の蔵から、楠正家郷武者像発見される~正行像に酷似する武者姿
・正家、正平31月の四條畷の戦いで戦死

楠正行通信第99号(1112日発行)
11月2日、如意輪寺で小学生14人参加で楠正行かるた大会開催
1110日、四條畷神社で電通大コラボ第3弾「楠正行ポスターセッション」
 開催
楠正行の顕彰活動、各地で開催
・くすのきまさつらポスターの完成を伝える産経新聞社会面「チャイム」10.31
 朝刊


楠正行通信第100号(1112日発行)
・電通大との産学連携事業第3弾、くすのきまさつらポスター完成一挙公開100
 号記念特集
15人の学生、30枚のA1ポスターを制作
11月、四條畷神社と湊川神社で七五三参詣者にポスターセッション開催


 ~ お蔭様で、平成2612月に創刊した楠正行通信は、四條畷楠正行
   の会5周年の節目に当たる今月、記念すべき100号を迎えました。
   ご愛読ありがとうございます。 ~

●楠正行と近衛経忠
北畠親房と近衛経忠の確執が表面化した藤氏一揆の動き
正行、河内東条平和の時代の内憂
興国2年ごろの奥州
  北畠親房、高師冬の包囲網を受けて苦戦状態
  近衛経忠、藤氏一揆=藤氏同盟を仕掛ける
   南
朝に対する分派行動であり、村上源氏の親房への反旗であった
※興国4年ごろの奥州
 親房の東国経営行き詰まり、山深い関城に小山朝郷、興良親王を小山城に迎え
 入れ、藤氏同盟の建設に動く
幻の藤氏同盟の結末
 興国4年末、大宝城の興良親王、関城の親房、共に陥落し西に走る
 近衛経忠、小山氏敗北を受け失脚、左大臣を辞す
近衛経忠という人物
 南朝に在って親房の主戦論に対し和睦派に位置し、和平工作による南北両朝の
 和睦を
計画
※南北朝期の小山氏
 小山秀朝死後、朝郷は尊氏離反に従軍し、箱根竹之下の戦いで勲功を挙げる
 九州下向に従軍、湊川の戦にも参陣
 北畠顕家に敗れ捉えられるが、結城宗広の嘆願で助命されるも、北朝方として
 軍事活動
 親房の誘引にいったん帰順を約束するも、実現せず
 小山氏を取り巻く状況は複雑で、態度を鮮明にできなかった 近衛経忠の藤氏
 同盟の働きかけにも積極的に行動に出ることは難しかった
寺田いずみ氏の指摘
 正行の母が藤原藤房の妹、滋子説に立てば
 弁内侍の日野氏は、北畠親房の嫡男・顕家の妻の実家
 弁内侍降嫁話が実現していれば、正行は親房よりのスタンスをとったのではな
 い

 弁内侍降嫁話の浦に勢力争いの臭いも


                                    

近衛経忠・藤氏一揆、扇谷のまとめ
※正行の内憂・外患
 正行は、延元元年1336年湊川の戦で父、正成が討死した後を受けて楠氏の頭領となります。
 その後数年にわたって、武家方との戦い、河内天野の一大合戦を中心とする南部戦線、河内の国で繰り広げられた北部戦線と、第1期戦乱時代を過ごしますが、この頃、正行は千早東条に在って前線には赴いていません。
 そして、戦いが終息し、正行にとって河内・東条平和の時代を迎えます。
 興国元年1340年、15歳になった正行は左衛門尉・検非違使に任じられ、官途に就き、その後毎年国宣を残しています。
 父の遺訓を護り、吉野朝復権に向けて自らの力を蓄え、頭領としての地歩を築いていきます。この時、藤氏一揆を仕掛けたのが近衛経忠でした。奥州で吉野朝への助成を求め活動する北畠親房の主戦論に対して、京都=武家方との和睦によって吉野朝廷の復権を果たそうと、藤原氏一族に合力を求め分派行動をとったのです。
 正行は、この分派行動に大いに困惑させられたものと思います。
 中世に在って、超え難い身分の壁を感じながら、黙々と官途を務めながら、力をつけることに集中したい正行を、相当動揺させる動きであったと思われます。
 しかし、近衛経忠の動きも、奥州で合力する藤氏一族もまとまらず、高師冬の攻勢が一段と強まり、結城親朝を筆頭に武家方になびく武将が相次ぎ、興国41343年ごろには藤氏一揆も夢と終っていきます。
 正行を悩ました近衛経忠は失脚しますが、奥州から吉野に戻った北畠親房は公家トップに君臨し、主戦論の急先鋒として全国開戦令を発し、武家方への攻勢を仕掛けます。そして、宮方武将の中心に育っていた正行を、その先頭に立たせ、戦いによる武家方打倒を仕掛けていくのです。
 正行の河内東条平和の時代も長続きせず、北畠親房の主戦論は、正平112月、征西将軍宮・懐良親王に充てられた「東北以外の地で蜂起」との通告を端として、中国・四国の水軍を動かせ、遂に正行、第2期戦乱の時代へと突入していきます。
 藤氏一揆は、今まであまりスポットをあてられることはありませんでしたが、史料の少ない正行の事跡を探っていく上で、避けて通れない大事な事跡と云えるでしょう。

大阪電気通信大学「楠正行ポスターセッション」
産経新聞1030日朝刊に掲載!/正行通信99号に掲載
1110日(日) 四條畷神社でポスターセッション/正行通信99号に掲載
[今後の予定]
1117日(日) 湊川神社でポスターセッション
         10001200 の2時間開催します。
お近くの皆さん、ご来場お待ちしております。

□如意輪寺菊まつり「くすのきまさつらかるた大会」
※通信99号に詳報掲載
 小学生14人参加で、大いに盛り上がる
 かるた大会終了後、本堂で正行公法要営む
日時 112日(土) 午前11時~午後1時
場所 吉野山如意輪寺

□「3世代で交流し地域の歴史を楽しく学ぶ集い」について
日時 1124日(日)午前10時~12時
場所 下田原集会所1階ホール
四條畷市民の皆様大歓迎です。是非、遊びに来てください。

8回楠正行シンポジウムについて

日時 令和237日(土)午後2時~4時
場所 市民総合センター・展示ホール
内容 絵本作家・観光大使 谷口智則さんによるライブペインティング楠正行
  “谷口智則さん、人生初めての人物画”

  1部 絵本「まさつらとけんしゅう」「最期の戦い」絵本読み聞かせ
  2部 ライブペインティング 楠正行
  定員 100名/往復はがきで要申込
同時開催! 「くすのきまさつらポスター展」
      32日(月)~38日(日)の1週間
   場所 市民総合センターホールor喫茶


9回楠正行シンポジウム・企画(案)について
令和2年度は、四條畷市市制施行50周年
 《過去の実績》
 (四條畷市主催)
1回 楠正行の人間像に迫る パネラー/寺井・永嶋・加島・岡山・野田/
    神社会館
2回 楠正行伝 寺田いずみ/四條畷学園短期大学清風学舎80周年記念ホール
3回 父、正成から見た正行 初田弘枝/展示ホール
4回 近代の小楠公顕彰と四條畷 尾谷雅比古/展示ホール
5回 郷土・四條畷の誇り 楠正行 扇谷/四條畷学園短期大学清風学舎80
    年記念ホール
6回 楠正行考 東儀・木子・東・寺井・扇谷・安本/大阪電気通信大学
    コナミホール
  (四條畷楠正行の会主催)
7回 今、蘇る楠正行ワールドをあつく語る 加島・扇谷/教育文化センター
    ホール
8回 谷口智則さんによるライブペインティング楠正行/展示ホール(予定)
9回 20213月開催予定
     ~ 現在、企画検討中です。乞う、ご期待ください。 ~

□湊川神社大嘗祭奉祝祭
 日時 1115日(金)午前10時~
 場所 湊川神社本殿/直会は楠公会館
 出席 会から4名出席

9.22 東京奈良まほろば館 扇谷講演の青木さんによるリポート記事掲載
 雑誌「原子力文化」201911月号(通巻601号)
青木豊彦さんのコーナー 《おもろいでっせ! モノづくり》
 「ナンコーさんの講演会に行ってきました」

  扇谷の東京・奈良まほろば館での講演のリポート記事が掲載されています。
  日本原子力文化財団発行・月刊誌・定価204円(税込)

大阪電気通信大学日本文化特別講座第6
 日時 1111日(月)、午後450分~620
 場所 四條畷キャンパス10号館103教室
 対象 海外からの留学生に日本文化を伝える
 内容 ①講義 南北朝時代、四條畷の合戦で討死した楠正行
       四條畷の合戦は河内平野形成9000年の歴史がいざなった
    ②映像スクリーン紙芝居「楠正行の生涯」上映
    ③日本文化「かるた遊び」で四條畷の歴史を学ぶ
~ この日、かるた取りでトップになった韓国人留学生に「楠正行かるた」
  をプレゼントしました。~


 令和1年度「なわて学」後期講座
 場所 市立公民館3階会議室④ 但し、5回のみ展示ホール
 時間 午後2時~330
① 1109日(土) 「なわての自然」 久保勝範/森の工作館館長
② 1207日(土) 「いにしえの街道と道標」 扇谷昭
③ 125日(土) 「四條畷の民話・雁塔物語」 佐野喜美/歴史民俗資料館
          前館長

④ 222日(土) 「四條畷のまちづくり鼎談」
     林副市長・西垣内マーケッティング監・扇谷元産業振興アドバイザー
⑤ 307日(土) 「第8回楠正行シンポジウム」谷口智則/絵本作家・観光
           大使

□歴史民俗資料館第34回特別展 KARIYA
 雁屋遺跡弥生時代拠点集落の変遷 
 会期 101日(火)~128日(日)

次回例会について

 1210日(火)
 忘年懇親会開催のため、通常の例会はお休みです。

傍聴、入会大歓迎!

 郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方
 一緒に学びませんか

 例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです。
 お気軽に、教育文化センターの2階を覗いてください。お待ちしております。
 1月例会、お待ちしています。


正行通信 第98号・99号・100号はコチラからも(PDF)




「教文 親子体操教室」でハロウィン・パーティー!

日時 令和元年10月24日(木) 午前10時より11時半
場所 四條畷市立教育文化センター
イベント内容 親子体操の後で、ハロウィンに因んだ仮装をして、みんなで写真を撮りました。そしてホットケーキを焼いてお弁当を食べました。
皆さん上手に出来ました。

   

教育文化センター市民教養講座  
郷土、四條畷ゆかりの人物シリーズ(第2回)をお届けします 
太平記を読み解き、楠氏徹底検証! 
~ 正成、正行を伝える原典に触れる ~

日時 令和元年10月18日(金) 午後2時より3時半
場所 教育文化センター ホール 
イベント内容 教文市民教養講座は、いよいよ5回目最終回を迎えました。
太平記の深い歴史を紐解き、膨大な量の資料より要点を学びました。
皆様大変お疲れ様でした。。

   
   

教文 親子体操教室で遠足!

日時 令和元年10月10日(木) 午前10時より11時半
場所 教育文化センターより里山
イベント内容 教文で集合して、里山へ秋の遠足に出かけました。
10月10日は、晴れの確率がとても高いそうです。
皆さまお疲れ様でした。

   
 

四條畷楠正行の会 第56回例会 

日時 ■第56回例会 
■令和元年108日(火)午後1時30分~3
場所 ■四條畷市立教育文化センター ホール
<例会の様子>
 ●久しぶりに新しい仲間を迎えて、嬉しい例会
 小雨降る中、11名の会員に加え、新たに山添さんの友人、樋口さんという女性が加わり、12名での例会となりました。
 例会開会前に、9月の東京講演と楠正成銅像(皇居前広場)、朱舜水終焉の地碑(東大農学部構内)、そして茨城県立歴史館を訪れたときの様子をスクリーンに写しながら、扇谷から様子を報告しました。
 東京講演は、何よりも四條畷を首都圏に発信できたことが一番でしたが、東京にも楠氏フアンや楠正行に関心を持つ方々が多くおられることを実感しました。親子(母・娘)で参加された方からは、『まさつらカルタを買って帰って、しっかり勉強します。今度、バスツアーはいつ行われるのですか。ぜひ、参加したい。』と、嬉しい反応を頂きました。
 今日の勉強は、「楠正家と楠正行」でしたが、茨城県那珂市の素鵞神社・西野宮司からご提供いただいた楠正家郷と墨書きされた武者像《陶器》の写真を公表することについてご了解を賜り、加えて、那珂市の広報誌9月号に掲載された関連記事「水鳥 30 瓜連城と常福寺」の中の「瓜連城と楠正家」についても教えていただき、急遽、追加資料をつくっての勉強会となりました。
 情報を発信し続けていると、このような様々なネットワークが生まれ、新しい発見や情報に接することができ、感謝です。

 
                10月例会の様子

 ※楠正行通信第96号(108日発行)
 ・四国・薩摩・菊池・大宰府と戦いに明け暮れた懐良親王
 ・戦いの傷跡を今に伝える将軍梅や将軍藤
 ・正行と懐良親王に、身分差はあるものの、共に大きな苦労
  
 ※楠正行通信第97号(108日発行)
 ・922扇谷、東京・奈良まほろば館で講演
 ・皇居・楠木正成銅像、東大・朱舜水終焉地碑の2カ所に訪れる
 ・茨城県立歴史館にお礼と報告、そして「正行像賛扇子」寄贈

 
 
楠正行と楠正家
  楠正家とは、いったいどんな人物だったか
 
※四條畷市史に載るものの、なぞの人物
 ※日本史人名辞典に載る正家
 ※楠正家郷と筆書きされた武者像発見される~茨城県那珂市瓜連の素鵞神社
 ※瓜連町史に載る楠正家
   楠木在庁説・瓜連土着説
   少なくとも瓜連城で約1年、勇戦敢闘したことは事実
   源氏庶流、常陸守護職を務めた佐竹氏の額田城の目と鼻の先に築いた瓜
   連城
   正家の軍事力は、果たしてどこから来たのか~在庁説・土着説の根拠
 ※瓜連城落城後の正家の足取り~奥州に行き、北畠顕家と共に行動したか
 ※瓜連の地は、北条貞国が元弘収公地として正成に与えられ、正家を代官と
  して派遣したとも
  正家が1年にわたって戦いえたのは、貞国との一致(支援)があったので
  は、とも
  正家は、もともと貞国被官として瓜連に勢力を扶植していたのではないか
   、とも

 ○四條畷神社押印のある楠正家郷武者像は、正家河内土豪説を裏付ける
  発見か

 □正家常陸土着説をとれば、楠氏に連なる一族がなぜ常陸に勢力を張っていたのか疑問は残るが、瓜連の戦いで敗れた後、顕家に従い河内に入り、正行に従い四條畷の戦いに参戦したと考えられる。また、正家河内土豪説をとれば、遠く瓜連の地で足利方強豪の佐竹と1年にわたって抗戦しうる軍事力をもちえたのかとの疑問は残るが、最後は河内に戻り、正行とともに四條畷の戦いに参戦したと考えられる。
□しかし、那珂市の広報誌9月号掲載の歴史民俗資料館便り、「水鳥㉚ 瓜連城と常福寺」は、瓜連の地が北条一族の北条貞国に与えられ、貞国が瓜連城を築いた後、後醍醐天皇がこの地を楠正成に配し、正成が楠一族の正家を瓜連城に送り、佐竹貞義・義篤親子と激戦をしたと記し、結果、瓜連の戦いに敗れた正家は脱出して東北の地に逃れ、後に四條畷の戦いで戦死した、と綴っている。
□瓜連の素鵞神社・蔵から発見された「楠正家郷」武者像が、正行の武者像を瓜連に持ち帰り、楠正家郷と筆書きしたものとすれば、瓜連に正家の痕跡が残っていない証左でもあり、正家河内土豪説を有利とするのではないか。
□紹介した那珂市広報誌は、「今後、この像についての情報が寄せられることを期待したいところです。」と結んでいますが、このホームページを見られた方で、「楠正家郷」武者像に関する情報をお持ちの方がおられましたら、ぜひ、ご一報ください。
●四條畷市史に載るものの謎の人物                   

楠正家という人物は、四條畷市史第一巻第Ⅱ部「各論」第三編第一章「四條畷合戦と小楠公社」第二節の「小楠公墓地と四條畷神社」の三「四條畷神社」に載る「四條畷神社合祀者」の中に、四條畷市史の中で唯一出てくるが、「楠左近将監正家」「同人子息」と記されているのみである。四條畷の合戦で亡くなったものと思われるが、その戦いぶりや事跡については全く触れていず、どのような人物であったかは窺い知ることができない。
楠正家郷と筆書きされた武者像が発見される  
今年の夏、茨城県那珂市瓜連の素鵞神社の蔵から木箱に入った楠正家郷の武者像が出てきた。
天地25センチほどの木箱の扉の裏書に、筆で「楠正家郷」と記されている。

武者像は高さ17センチほどの立像で、右手に筆か鏃のよう なものを持ち、両足をそろえて、身体は正面を向き、顔はやや左を向く姿である。 
そして、武者像の底(足の裏の台座部分の裏)には、紙が張り付けられており、朱色で菊水の家紋が押印され、その下に黒色で『四條畷神社』と押印されている。
素鵞神社は、楠正家との直接の縁はないものの、楠正家が築いたとされる瓜連城の敷地内に建っているとのこと。
□四條畷神社の押印と菊水の家紋の押印からして、四條畷神社創建後に何らかの関わりでこの紙が張り付けられたことは明らかであるので、どのようないきさつで素鵞神社に納められたものか不明ではあるが、いずれにしても明治23年以後のことである。
姿・形から判断して、正行の武者像を素鵞神社の関係者が持ち帰り、瓜連に縁の深い「正家郷」と箱書きしたものではないか、というのが扇谷や湊川神社・岡村学芸員の見解である。
□この武者像については、現在、素鵞神社が専門家に鑑定を依頼しておられ、近いうちにその実態が分かるのではないかと思われる。
□この素鵞神社の西野宮司から、参考にと「瓜連町史」のコピーを送っていただいた。
□同町史の第三節「南北朝期の瓜連」の一、「瓜連合戦と楠木正家」に載る楠正家に関する部分を取り上げる。

瓜連町史より

楠正家、常陸に来る
□建武三年正月、京都市街戦で北畠顕家らの軍に敗れた足利尊氏は、2月、筑紫へ走った。この時、尊氏に従っていた佐竹義篤・義春兄弟は、常陸を固めるようにとの尊氏の命を受けて常陸に兵を返した。この月、元号は延元と改められた。
楠左近蔵人正家が、楠正成の代官として常陸に現れるのも、ほぼこの延元元年正月~二月ごろとみられている。正家は拠点を瓜連に定め、これより佐竹の軍勢を戦うことになる。これが世に云われる瓜連合戦(瓜連城の戦い)である。
瓜連城は、天神林の馬坂城から約4.5キロ、佐竹の本拠地である舞鶴城から8キロ、久慈川の対岸に位置する。この、いわば目と鼻の先に、菊水の旗は掲げられたのである。佐竹は常陸での活動に自由を得るためには、この瓜連を攻略しなければならなかった。
佐竹の最初の攻撃は、延元元年2月のはじめの事で、26日の戦で佐竹貞義の子、六郎義冬が討死している。この時、当主の義篤は西国にあったので、義篤の父、貞義が総大将であったが、子息義冬討死という事はかなり激戦が展開されたと思われる。
正家が常陸に入ったのは何時であったか、必ずしも明確ではない。延元元年の時点で新たに派遣されてきたのか古くから常陸の瓜連近辺に勢力を持った土豪勢力であったのか、何れとも判断できる史料がないのである。
中山信名(江戸時代末期の水戸の学者)~楠木在庁説
石岡の総社神社に伝わる文書中、弘安8年正月29日付の留守所下分に、国司代左近大夫将監橘朝臣の署名が見えることに注目し、この人物を正成の父、正康ではないかと考え、常陸の在庁に楠木の一族があることが、正家常陸派遣の理由であろうと推測している。
平泉澄~正家、瓜連土着説
常福寺・慶長7年の寺領帳・奥書に「慶長七□極月十日 御修理手代、楠木綾部□□(花押)」とあることに注目し、瓜連落城266年の後ではあるが、この地に楠木を名乗る一族があることは、楠木氏と瓜連との因縁浅からぬことを思わせると、博士はこの史料によって、正家は土着勢力であったという推量に傾いている。
着到状があるため、瓜連の地に正家が在ったことが証明される

楠判官正成代官正家を中心に、この地の人々が結束して、少なくとも2月から1221日の落城に至るまで、勇戦敢闘したことだけは事実である。
「関城繹史」は、延元元年正月、常陸に入った正家が那珂通辰一族の協力を得て西金砂山に佐竹貞義を攻めた旨「戸村本佐竹系図」によって記している。
□そして、「薬王院文書」に、以下一通の着到状がある。
着到 常陸国
右、佐竹幸乙丸代云、入野七郎次郎□□□助房、自今年去建武三二月廿五日至乎今、馳籠常□□(陸国)久慈郡瓜連左近蔵人(楠木)正家之楯、及合戦之□□□遅参仕候也 仍着到如件

この着到状は、佐竹幸乙丸の被官と思われる入野七郎次郎という武将の差し出したもので、225日から久慈郡瓜連左近蔵人正家の“楯”になって合戦をしていたので遅くなりましたと記している。着到の日付は54日となっているから一カ月余り瓜連に居たことになり、官軍に味方する佐竹の一族を含む在地の諸勢力が、正家の下に結集した姿を伺うことができる。

□この着到状があるが故、瓜連の地に正家が在ったことが証明されるのである。
□この年、3月から5月にかけて、常陸の官軍は各地に戦い戦果を挙げたと思われる。しかし、東征を開始した尊氏は、5月正成を、6月名和を討ち、7月に入ると東国での巻き返しに本腰を入れ始め、伊賀盛光など奥州勢の援軍を得た佐竹勢は、再び瓜連に迫る。

戦いは822日に始まり、激戦の末、佐竹勢は敗退した
しかし、122日、武生城を出立した佐竹勢は、三度瓜連に向かい、同10日、岩出河原で激戦の末、翌11日、遂に瓜連は落城した。

瓜連落城後の楠正家

*水戸藩の編纂した「大日本史
「今川記」や『太平記』によって、瓜連を脱出した正家は、奥州に移り、鎮守府将軍であった北畠顕家の軍に加わり、のち、楠正行とともに四條畷で討死した、と記す。
*佐竹家譜 延元二年の頃
□「八月 北畠顕家、義良親王を奉じて陸奥国霊山城を発して西討す(中略)。白河の関に
□□
到り、マツ東九郎某楠左近某を遣わして常州を徇へしむ、義篤及び吉原義政等是を拒く、互いに雌雄アリ」

 この文中に見える楠左近某は正家らしい。但し、この記録の信ぴょう性は今一つである
□いずれにしてもはっきりしたことは言えないが、落城後は奥州に赴き、顕家の軍と行動を共にしたとする従来の生存説に従っておこう、と結んでいる。

□大阪電気通信大学「楠正行ポスターセッション」


 

□如意輪寺菊まつり「くすのきまさつらかるた大会」の開催
□日時 112日(土) 午前11時~午後1
□場所 吉野山如意輪寺
□   子どもから大人まで、誰でも参加、大歓迎です。
□   吉野、そして四條畷ゆかりの人物、楠正行をカルタ遊びを通して知り
    学びましょう!

□「3世代で交流し地域の歴史を楽しく学ぶ集い」について


この楠正行かるたイベントは、一般社団法人河内観光局の協力要請を受けて、四條畷楠正行の会が協力・指導します。多くの方のご参加をお待ちしております。

南朝の歴史的資産等関係自治体活性化協議会総会パネルディスカッション
□ ~ 扇谷、パネラーとして参加 ~
□日時 9月26日(木) 午後3時~午後4時
□場所 吉野山・吉野町施設
□内容 扇谷、五條元滋氏(八女市)、西住欣一郎氏(菊池市)によるパネル
    トーク
□   『今に生きる南朝への思いと地域の未来』
四條畷楠正行の会から15自治体の図書館・児童館65刊に
 楠正行かるた プレゼント


後醍醐天皇正辰祭&如意輪寺後醍醐天皇御忌
□ ~ 楠正行の会から4人参加 ~
□日時 9月27日(金) 午前10時~午後1時
□場所 吉野山如意輪寺境内塔尾陵・如意輪寺本堂

次回例会について
日時 1112日(火)午後130分~3時
場所 教育文化センター2階・ホール
内容 ・近衛経忠と楠正行
   正行平和の時代に起こった吉野朝の内紛・権力闘争~藤氏一揆の首謀者
   ・大阪電気通信大学ポスターセッション
      四條畷神社の反省と湊川神社の確認
   ・3世代で交流し地域の歴史を学ぶ集いについて
      出欠再確認と役割分担
   ・第8回楠正行シンポジウムの実施要項について
      チラシ・ポスターの確認
   四條畷市広報誌1月号掲載・市ホームページアップ/115日 受付開始

   ・その他

傍聴、入会大歓迎!
郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、一緒に学びませんか。
例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです。
お気軽に、教育文化センターの2階を覗いてください。お待ちしております。
 
正行通信96号・97号はコチラからも(PDF)


教文 「”みんなの運動会”」

日時 令和元年9月26日(木) 午前10時より正午
場所 教育文化センター 芝生広場・会議室
イベント内容 この秋一番の青空のもと、運動会で頑張りました!
プログラムは以下の通り
1. 入場行進          全員
2. ♪いっとうしょうたいそう  全員
3. かけっこ よーいドン    4歳.3歳のあと2歳.1歳の子どもさん
4. ♪パプリカ         全員
5. たまいれ          4歳~2歳6ヵ月(赤組).(白組)
6. ♪ちびっこにんじゃ     教文親子体操教室
7. サーキットあそび      4歳と3歳のあと2歳と1歳の子どもさん
8. 台風の目          全員(ゼッケン色分け)
9. おみこしワッショイ!    全員
10.パラバルーンで遊びましょう! 全員
11.全員リレー          全員(ゼッケン色分け)
12.♪ピカピカぶー        全員
 以上、みんな楽しく出来ました◎

   
   
   
   

教育文化センター市民教養講座  
郷土、四條畷ゆかりの人物シリーズ(第2回)をお届けします 
太平記を読み解き、楠氏徹底検証! 
~ 正成、正行を伝える原典に触れる ~

日時 令和元年9月20日(金) 午後2時より3時半
場所 教育文化センター ホール 
イベント内容  教文市民教養講座 第4回目は、いよいよクライマックス「正成兄弟討死の事」について詳しく解説を頂き、深い歴史を繙きました。
講師は四條畷 楠正行の会代表の扇谷昭さん。
次回第5回目最終回は10月18日(金)となります。
ご近所、お友達お誘い合わせの上、是非ご参加下さい。

教文 親子体操教室で 「”おみこし”つくり」

日時 令和元年9月19日(木) 午前10時より
場所 教育文化センター ホール・会議室
イベント内容 運動会の出し物「おみこし」をつくりました。
「ワッショイ!ワッショイ!」皆さん楽しく出来ました◎

   

教育文化センター利用サークル合同サークル展 

日時 令和元年9月15日(日) 午前10時より4時
場所 教育文化センター 全館
イベント内容 9月の3週目の日曜日は「教文利用サークル合同サークル展」です。
各サークルは作品展示と舞台発表に分かれ、日頃の成果を発表しました。

   

四條畷楠正行の会 第55回例会 

日時 ■第55回例会 
■令和元年910日(火)午後1時30分~3
場所 ■四條畷市立教育文化センター 会議室1
<例会の様子>
 ●戦いに明け暮れ、カリスマに生き抜いた懐良親王の生涯
 今月の学びは、懐良親王です。
 8歳の時、後醍醐天皇の命を受け、五條頼元を守役として九州に向かった懐良新王は、四国から・忽那島に入り、14歳の時ようやく薩摩・谷山城に入ります。薩摩の谷山城で6年の歳月を要して島津を抑え、正平31月、丁度、四條畷で楠正行が討死した後を受けるが如く、20歳の時、海路、宇土津を経て菊池に入ります。
 菊池に入った懐良親王は、付き従う五條一族、そして南朝勢力菊池一族とともに、山奥の土地を開墾し、根拠地をつくり、御免革を代表する産業の振興、更には大陸との貿易等による財政基盤を築きながら、菊池氏や忽那水軍の合力を得て自前の軍隊も作っていきます。
 九州の幕府側勢力、筑前の少弐氏、豊前の宇都宮氏、豊後の大友氏らとの戦いに明け暮れながら、正平148月、大原の戦いで激戦・死闘を繰り広げ、菊池武光を大将とする懐良軍44千は、少弐軍65千を破りますが、懐良親王は重傷を負い、五條良氏(頼元の嫡男)は35歳の生涯を閉じます。
 治癒後大原を訪れ、犠牲者を弔った懐良新王は、梅の木、藤の木を植えますが、今も「将軍梅」「黒木大藤」として残っています。そして34歳の時、ようやくの事博多に入り、大宰府に九州征西府を樹立するのです。
 しかし、この後、幕府が送り込んできた九州探題・今川了俊の攻撃を受け、遂に、高良山城が落城し、その後、良成親王に征西府将軍の職を譲り、48歳にして、引退をします。その後、55歳で生涯を閉じています

 懐良親王は、8歳から55歳までの47年間、戦いに次ぐ戦いの連続の上で、苦労し続け九州征西府を樹立し、九州南朝”征西府を構築した人物です。

 ●楠正行ポスターセッション
  11/10四條畷神社、11/17湊川神社でそれぞれ開催

 8月例会はお休みでしたので、多くの報告事項がありました。
 湊川神社例祭出席、吉野ユネスコ協会一行を四條畷に迎えた現地研修の受け入れ、「楠正行」短編映画製作協力依頼、なわて酒試飲会イベント協力要請、楠正家武者像(茨城県那珂市・素鵞神社)の発見と鑑定依頼、湊川神社夏祭り「楠公さんかるた会」の開催、吉野町長表敬訪問、如意輪寺菊祭り「くすのきまさつらかるた大会」開催打合せ、四條畷詩吟連盟吟詠大会でミニ講話「渡辺橋の美談」、なわて酒試飲会で美吉野醸造橋本杜氏と扇谷の対談・カルタ会・紙芝居上映ほか。
 毎月の学びとともに、楠正行顕彰の様々な機会が増え、ネットワークの広がりを感じています。
 いよいよ11月には、大阪電気通信大学とのコラボ第3弾、「楠正行」ポスターセッションを迎えます。1110日には四條畷神社で、1117日には湊川神社で、15人の学生が30枚のポスターを展示しながら、「私の楠正行」をPRします。詳細が決まりましたらお知らせしますので、四條畷市、神戸市の皆さん、そして、近隣・ゆかりの地にお住まいの皆さん、是非お出かけ下さい。お待ちしています。

 
                例会の様子

 ※楠正行通信第93号(86日発行)
 ・歴代皇統に加えられたのは大正1510月~生涯ほぼ不明で、不遇な天皇
 ・即位の日が特定されず、式典史料もない長慶天皇
 ・衰退した吉野町皇室の財政難を反映か
 ・長慶天皇陵の伝説箇所、全国に実に長慶天皇陵の伝説箇所、実に全国に
  73
か所も
 
 ※楠正行通信第94号(86日発行)
 ・吉野ユネスコ協会一行23人を大阪・四條畷に迎えて
 ・建水分神社、観心寺そして小楠公墓、四條畷神社、和田賢秀墓にご案内
 ・「お世話になりました」と嬉しいお電話を頂く

 ※楠正行通信第95号(910日発行)
 ・湊川神社夏祭りで、楠公さんかるた会開催
 ・優勝景品の大判絵札選択に悩む子どもたち
 ・824 22人の参加を得て楽しく遊ぶ~熱闘将棋!湊川の陣と併催

 ●楠正行と懐良新王

 別紙資料/①征西府(懐良新王・良成親王)・五條一族・菊池一族の関係年表
      ②懐良親王の九州制圧図
*大義名分論・身分制社会の中でカリスマに生き抜いた生涯.
*四国・薩摩・菊池・大宰府と戦いに明け暮れた37年。九死に一生を得た大原野戦い.
   戦跡を伝える数々の史跡・伝承の地

*自前の軍隊を持たず、一からの軍隊づくりを余儀なくされた
*足利幕府とは九州探題と云う緩衝組織を通しての間接的な対決
*正行討死する正平31月、薩摩上陸を果たす懐良~生きた時代のずれ
*正行に遺腹の子、そして懐良には水軍の子
*運輸流通・地場産業を含め、産業振興による財政基盤の構築


別紙①


別紙②


当面のスケジュール
  如意輪寺 正辰祭・御忌法要
  927日(金)午前10時~ 正辰祭/宮内庁主催
         午前11時~ 後醍醐天皇御忌法要/引き続き御斎/如意輪寺催行
  出席  扇谷、川口、土井、山添/集合 午前745
      市役所駐車場に集合・出発

  大阪電気通信大学楠正行ポスターセッション
  1110日(日) 四條畷神社でポスターセッション
  1117日(日) 湊川神社でポスターセッション
   詳細な開催要領は10月例会で確認
 
  如意輪寺菊まつり「くすのきまさつらかるた大会」の開催
  日時 112日(土) 午後1時~午後3

     田原図書館でのカルタ大会と同様の案内をする
  本番:集まった子どもと大人に分けて実施
     詳細な開催要領は10月例会で確認

  3世代で交流し地域の歴史を楽しく学ぶ集い事業協力について
  日時 1124日(日)午前10時~12時
  場所 下田原集会所1階ホール
  主旨 地域の歴史「楠正行」を異世代が交流して楽しく学び顕彰する
  主催 一般社団法人河内観光局
  内容 1000~ かるた予選と決

     1100~ 映像スクリーン紙芝居「楠正行の生涯」上映
     1130~ ワークショップ^グループに分かれて意見
交換
  協力 指導者として四條畷楠正行の会に協力要請
    ・10人の派遣要請
    ・カルタ、紙芝居の運営委託
    ・ワークショップで、グループの進行役
    ・下見 119日(土)午前10時~

  集合 午前845分 総合センター駐車場 分乗して下田原へ

  全国南朝の歴史資産等所在市町村活性化協議会
  令和元年度総会 926日(木)~27日(金)/場所 吉野町吉野山
          926 鈴木課長・扇谷出席/総会と交流会
  パネルディスカッション「今に生きる南朝への思いと地域の未来」/926日開催

  五條元滋(八女市)、西住欣一郎(菊池市)、扇谷昭(四條畷市)
  進行:田中岳良(吉野町)
  扇谷発言骨子

  1.四條畷の合戦について
  2.四條畷楠正行の会について
  3.将来展望と地域貢献、行政との連携、課題等について
 加盟自治体16 すべての図書館にカルタ寄贈/43図書館(吉野町で確認中)
 茨城県筑西市・長野県大鹿村・三重県津市・京都府笠置町・河内長野市・四條畷市
 千早赤阪村・奈良県五條市・奈良県吉野町・奈良県天川村・奈良県上北山村

 奈良県川上村・愛媛県松山市・福岡県八女市・熊本県八代市・熊本県菊池市
 (静岡県浜松市 脱退)

  なわて学・前期講座

  4回 914日(土) 午後2時~330分 総合センター・3階会議室④
     「小字・田原村編」  講師:扇谷

  第5回 1012日(土) 午後2時~330分 同上
     「小字と四條畷合戦編」講師:扇谷

  令和元年度・後期講座決定!
  1109 なわての自然      /森の工作館館長 久保
  1207 いにしえの街道と道標  /扇谷

  0125 四條畷の民話「雁塔物語」/前歴民館長 佐野
  0222 四條畷のまちづくり鼎談 /林副市長・西垣内マーケッティング監・
      扇谷
  0307 第8回楠正行シンポジウム /絵本作家 谷口智則

●次回例会について
 日時 108日(火)午後130分~3時
 場所 教育文化センター2階・ホール
 内容 「楠正家と楠正行」
    11月行事の打ち合わせ・役割分担等確認 他


●傍聴、入会大歓迎!
 郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、
 一緒に学びませんか。
 例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです。
 お気軽に、教育文化センターの2階を覗いてください。お待ちしております。

 正行通信93号・94号・95号はコチラからも(PDF)


教文 親子体操教室で 「”はじめてのおえかき”」

日時 令和元年9月5日(木) 午前10時より
場所 教育文化センター ホール・会議室
イベント内容 体操の後、白い画用紙にクレヨンと絵具で「初めてのお絵描き」をしました。皆さん大変上手に出来ました!

   
   

「教文 夏まつり!」

日時 令和元年8月23日(金) 午後3時より8時
場所 教育文化センター 全館
イベント内容 午後3時よりウオータータイムで元気にスタートしました。
OXゲームの後、雨に見舞われましたが、各ダンスチームの発表とゲストのコンサートで大変盛り上がり、最後は花火で締めくくりました。楽しかった!

   
   

教育文化センター市民教養講座  
郷土、四條畷ゆかりの人物シリーズ(第2回)をお届けします 
太平記を読み解き、楠氏徹底検証! 
~ 正成、正行を伝える原典に触れる ~

日時 令和元年7月19日(金) 午後2時より3時半
場所 教育文化センター ホール 
イベント内容  教文市民教養講座 第3回目は、いよいよ「太平記と正成」千剣破の城軍の事、正成兵庫へ参る事付けたり還幸の事について詳しく解説を頂き、奥深い歴史について検証しました。
講師は四條畷 楠正行の会代表の扇谷昭さん。
次回第4回目は9月20日(金)となります。
ご近所、お友達お誘い合わせの上、是非ご参加下さい。


教文 親子体操教室でプール開き!

日時 令和元年7月18日(木) 午前10時
場所 教育文化センター ホール ・会議室1
イベント内容 曇り空でしたが気温が高く、お待ちかねの「水遊び」をしました。
気持ちいいーネ◎

   

四條畷楠正行の会 第54回例会 

日時 ■第54回例会 
■令和元年79日(火)午後1時30分~3
場所 ■四條畷市立教育文化センター
<例会の様子>
優勝賞品のかるたで、毎日のようにあそび、正行のことを学んでいます。
 この日の例会は、嬉しい報告で始まりました。
 一つは629日に開催した「くすのきまさつらかるた大会」の低学年の部で優勝した中西友里さんとお母さんのお話です。
 かるた大会の前に、お父さんが教育文化センターのホームページからくすのきまさつらかるたの絵札と字札をプリントアウトして、友里さんがそれを使って練習をしてくれたという事が分かりました。そして、くすのきまさつら通信第92号をお届けしましたが、その際のお二人のお話では、「優勝賞品としてもらった正行かるたで遊んでいます。正行についてたくさん学び知りました。」とのこと。
 嬉しい報告に、ホールは和やかな雰囲気に包まれました。
 中西友里さん、正行を大好きになって、お友達にお話ししてくださいね。
よろしくお願いします。
●物珍しさもあるのか、かるたを買ってくれる人が多いですよと、湊川神社から追加注文。
 今一つは、湊川神社からの正行カルタの追加注文のお電話を頂いたことです。
 正行ゆかりの地や地元の本屋さん等でこの正行カルタを販売していただいていますが、残念ながら、追加のご注文はありませんでした。
 しかし、湊川神社を訪れた方々が、社務所で販売されているこのかるたを手に取り、珍しさも加わり、買って下さる方が一人二人とあるとのことです。
 嬉しい限りです。
 かるたの普及を通じて、楠正行の事が少しづつでも知られるようになり、広がることを願っています。この日は、長慶天皇について学びましたが、「即位の日も分からない。そして、その生涯はほぼ不明で、不遇な天皇。」と、楠氏同様に、史料が少なく、その人物像がはっきりしない、もやもやとした学びの日でしたが、この二つの嬉しい報告があり、明るい例会となりました。


 
                例会の様子

楠正行通信第91号(79日発行)
・楠正行の師・龍覚坊と讃良の武将・藤原秀康は和田義盛の末裔であった
・和田義盛は、源頼朝のもとで侍所別当職を務めた幕閣の中心人物
・桓武平氏・鎌倉中央とつながる龍覚坊の出自がもたらした楠氏への影響は計り
 知れない
・龍覚坊は楠氏との接触を求めて意図的に観心寺に入ったか

楠正行通信第92号(79日発行)
6/29田原図書館で「楠正行」かるた大会を開催
・17人の小学生が参加し、熱戦を繰り広げ、元気な声で「はい!」と絵札取り
賞品「くすのきまさつらかるた」を、『もらえるの?』と喜ぶ優勝した二人
 の子ども

●楠正行と長慶天皇

その生涯はほぼ不明で、不遇な天皇
① 即位の日が特定されていない。
② 即位の式典に関する史料が残っていない。
③ 結果、過去、即位説と非即位説が主張されてきた。
④ 即位後の行在所も転々とし、明らかにされていない。
⑤ 後亀山天皇への譲位の日も推定に留まる。
⑥ 譲位後、上皇として院政を敷いたと考えられるが、その実態は明らかでは
  ない。
⑦ 譲位後、後亀山天皇の綸旨、そして長慶上皇の院宣が残存しており天皇兄
  弟の不和によって吉野朝の命令系統が分裂していた反映か。
「耕雲千首」古写本の発見により、正式に歴代皇統に加えられたのは大正15
  年
1021日になってからの事である。背景に八代国治博士の研究があった。
 耕雲千首/武田祐吉(国学者)によって発見された

  この奥書に、「仙洞並当今」すなわち天皇と上皇が元中6年(1389)に
  併存していたことが明らかとなり、八代の長慶上皇説を補強することと
  なった。

⑨ 崩御の場所が明らかになっていない。丹生川の長慶御陵は有力候補地の
  1つであったが、昭和
19211日、京都嵯峨の慶寿院の跡地が長慶天皇
  陵=角倉陵として決定された。

村田正志「南北朝論」より

※長慶天皇 13431394
 1368 正平23年 住吉行宮で即位したと推定される~確かな史料が残って
         いない
         12月 吉野に移る
 1369 正平24年 04月 金剛寺に移る ~ この頃、楠正儀、北朝に降る
         長慶天皇=主戦論 楠正儀=和睦論
 1373 文中02年 810日 正儀、細川氏清、赤松範資らと金剛寺襲撃

              ⇒ 長慶天皇、吉野に移る
    この後、いよいよ勢力を失って、山深く籠り、行在所もはっきりせず
 1379 天授05年 6月 長慶天皇、大和の栄山寺(五條市)に行宮を置く
 1381 弘和元年 1118日 金剛寺等に病気平癒の祈祷を命じている
 1382 弘和02年 征西将軍宮良成親王に勅書を送る
 1383 弘和0311月~1384 元中元年99
        ~ この間に、譲位か
        法皇とも 出家後の法号は覚理と名乗り、院政を敷いた
        後醍醐天皇は幕府を認めず、院政も行わない。
        また摂関政治も行わない。
        長慶天皇が院政を行ったとすれば、大きな変化といえる
 1385 元中02年 910日 宸筆の願い文を高野山金剛峰寺に納めている
                伝存する長慶天皇の唯一の筆跡とされる

    敬 白

       発 願 事
     今度之雌雄思ひの如くんば、
     殊に奉賽の誠を致すべきの状件の如し。
        元中二季九月十日  太上天皇寛成


 この願い文の意は、今度の合戦に思いの通りの勝利をおさめえたならば、特別に金剛峯寺に報謝を致したい、とのこと
 八代博士は、これは必ず足利氏との合戦に相違ないと解しているが、この当時南北両朝の間にさような戦争は見当たらない
 また一方には、これは南北の合戦を指すのではなく、長慶天皇と後亀山天皇との争いで、足利氏と和平しようとする後亀山天皇方に対し、強硬な主戦を主張する長慶上皇方とが争い、上皇が祈願を籠められたものと解する学説もある。が、何れも証拠があるわけではない
 1926 大正15年 1021日 八代国治博士の研究成果により、98代天皇とし    て皇統に加えられた。

九度山町史編纂委員会「長慶天皇史抄-明治百年記念」より

※南北朝の起り
・1368正平23年、311日、後村上天皇が摂津住吉で崩御され、河内観心寺に葬 られたころになると、吉野朝はますます不振になり、内部に論議が沸騰し、動 揺が始まる。すなわち、主戦派と講和派の対立である。
・楠正儀派は、後村上天皇の第二皇子温厚な煕成(ひろなり)親王、のちの後亀 山天皇を擁して南北の和を唱え、公家の人々もこれについた。
・主戦派の人たちは、気骨稜稜犯すべからざる威厳を持つ第一皇子寛成(ゆたな り)親王、のちの長慶天皇を立て、議論が対立した。
・ここにおいて、寛成親王は毅然として決するところがあり、その年十一月摂津 住吉行宮で自ら即位を挙げ、弟、煕成親王を皇太子に立てた。長慶天皇の哀史 がいよいよ始まる。
長慶天皇
丹生川に長慶御陵 ⇒ しかし、昭和1510月、嵯峨東陵が御陵と決まる。
晩年の隠棲地は、丹生玉川

 長塚山の東方川向の田んぼの中に”御下屋敷“と呼ばれる地がある=玉川の宮

 
嘉喜門院   後村上天皇   顕子:親房の娘(側室)
         次子      長子

        煕成      寛成  
        =後亀山    =長慶
         温厚      気骨稜稜

             重臣4家/井本・小松・村岡・大

長慶天皇と後亀山天皇は異母兄弟


玉川神社「南朝の真実」平成2743日より/崩御から650年記念誌
大楠公楠正成の息子、南朝を裏切る
・ハト派の代表格、斯波高経の融和政策
  大内氏・山名氏等強大な勢力が幕府に帰参、南朝はますます劣勢に
・雪解け/幕府方佐々木道誉と楠正儀の和平交渉
  後村上天皇の綸旨に「義詮の降参を許す」の文字に義詮激怒し、決裂
・楠正儀の幕府帰参
  長慶天皇は徹底した主戦論者。管領頼之、正儀に勧誘の手
・正儀の歴史的評価
  太平記、少々優柔不断で決断力に欠けると酷評
  江戸期、南朝正統史観が優勢となり、正儀幕府帰参の史実自体が疑われる
  ことも
・正儀の正義感
  幕府に軍事的に勝利できる可能性は皆無の状態/撫民思想によって勝ち目
  のない軍を終わらせるべきと考えても不思議ではない/主戦論に嫌気
・南朝軍の一斉蜂起/橋本正督・和田武正の挙兵
  長慶天皇、河内に臨幸し南軍激励・細川頼之の講和提案を一蹴
・幕府軍のサボタージュ/頼之への反発と、莫大な権益の保有を認められた
  正儀への反感
・管領細川頼之の辞任騒動
  正儀が幕府に寝返ったことで南朝の軍事力は一層低下
・晩年の正儀/不遇
  康暦の政変で頼之、失脚。正儀、再び南朝に転じる。直後河内で山名氏清
  に大敗。
  以後、赤坂城に逼塞させられてしまい、楠氏が歴史の表舞台に登場する
  ことはなくなった。
※南朝天皇の兄弟げんか~後亀山天皇対長慶上皇
・南朝の衰退
  1380年代、全国の南朝勢力は完全に逼塞し、南北朝内乱は事実上終了して
  いた。
  唯一強大な力を保持した征西将軍宮懐良親王も築後の山奥で死去、南朝は
  窮地に。
・和平派後亀山天皇の即位
  全国的な南朝勢力の退潮の中、南朝内部で主戦派が後退し、和平派が台頭
  した証。
・南北朝合一
  明徳の乱で失脚した山名氏の所領、和泉・紀伊(南朝の本拠地大和と接す
  る地)を与えられた大内義弘の主導で和平交渉は進展し、明徳
31392
  南北朝講和。
  後亀山の帰京にも長慶は同行していない。いつどこで崩御したのかも不明。
・後南朝


九度山町公式ホームページ
・丹生玉川の長慶天皇陵について、ほとんど触れていない。
・町史跡指定7号として、以下の3所を示すのみ。
① 南朝玉川宮伝承地 長慶天皇御陵墓参考地 丹生川1077

② 南朝玉川宮伝承地 観阿弥尼公墓所    丹生川583
③ 南朝玉川宮伝承地 玉川宮明野庵跡    丹生川540、同541、同542

長慶天皇陵に関する臨時陵墓調査委員会
・昭和106月、宮内大臣のもとに諮問を受け設置された
・初会合における宮内大臣の挨拶から一部抜粋
 「長慶天皇は大正15年大統に列せられ給うたのですが、その御陵は未だ御治
 定の運びに至りませぬのみならず、長慶天皇の御陵と伝えております箇所で
 ありまして、今日まで宮内省の関知いたしております所は、ほとんど
70カ所
 にも達せんとする有様でございます。」

・配布された関係書類一覧の中に記されている長慶天皇陵伝説箇所 計73か所
  北海道  1か所   青森県  8カ所   岩手県  3カ所
  福島県  1か所   群馬県  3カ所   東京都  1か所
  
富山県  
4カ所   山梨県  4カ所   長野県  1か所
   静岡県  1か所   愛知県  10カ所   三重県  3カ所
  和歌山県 5カ所   京都府  8カ所   大阪府  4カ所
  奈良県  1か所   兵庫県  2カ所   鳥取県  1か所
  岡山県  1か所   広島県  1か所   徳島県  1か所
  香川県  1か所   愛媛県  6か所   福岡県  2カ所
・上記記載地の内、現地調査対象箇所12カ所が選ばれ、57カ月をかけて、
 資料収集・現地調査すること
400カ所、40回を超える審議にもかかわらず、
 確定に至らず。

 長慶天皇陵の「要踏査地」
 <第二類:優先順位が高い>
 ① 富山県西砺波郡西野尻村安居寺~御過去帳・江戸時代写し及び土地台帳
   による
 ② 富山県西砺波郡赤丸村親王塚~河内金剛寺禅恵と関係あるか
 ③ 京都市右京区嵯峨慶寿院址~慶寿院の名称
 ④ 大阪府南河内郡川上村勧心寺~御髻塔の伝
<第一類:優先順位が低い>
 ① 和歌山県伊都郡小佐田村
 ② 和歌山県伊都郡河根村大字丹生川陵墓参考地~墳上の塔に元中の銘あり
 ③ 和歌山県伊都郡高野山大字高野山奥院玉川
 ④ 和歌山県有田郡八幡村~花園古文書新葉集徒然草吉野古文書等に基づく
 ⑤ 京都市右京区嵯峨蓮華峯寺兆域内~大学寺門室相続の際の加行作法に基
   づく
 ⑥ 京都市右京区嵯峨蓮華寺峯址~御曾祖父の関係を辿れる
 ⑦ 大阪府南河内郡川上村川合寺~菊花御紋章入石碑あり
 ⑧ 奈良県吉野郡十津川村大字上野地~長慶天皇をご祭神とする国王神社あり
最も有力な候補地として、嵯峨の慶寿院跡を挙げ、現下において長慶天皇陵
 を決定するのであれば、同地に定めるのが妥当と答申した。

●当面の活動

大阪電気通信大学・令和元年度社会プロジェクト実習授業
楠木正行ポスターセッション
724日(水) 学生によるプレゼンテーション 165010号館103教室
  各学生から制作予定のポスターのラフスケッチを発表 一人3
  正行の会・市職員等から質問・提案


吉野ユネスコ協会管外研修・現地案内
日時 713日(土)
場所 建水分神社(正式参拝・講話・扁額鑑賞)→観心寺(講話・境内散策・
   昼食)→四條畷市内(小楠公墓所・四條畷神社~正式参拝・和田賢秀墓)
参加 吉野ユネスコ協会会員 約20名(吉野郡の町村で組織された会)

湊川神社夏祭り「楠正行」かるた大会
湊川神社恒例【夏祭り】イベントの中で、くすのきまさつらカルタ大会を開催します。

ぜひ、お越しください!
日時 824日(土) 1600分~2030分(予定)
内容 ・子ども将棋教室
   ・まさつらかるた大会

楠公ツーリズム推進協議会・大阪樟蔭女子大学の学生インターンシップ制度

 613日 第2回講義 湊川神社・鈴木広報室長「戦国武将から幕末志士
      まで」
      四條畷楠正行の会 扇谷「楠正行を15分で理解する」
 627日 アンケート集約(集計後の学生の感想
     ・正行さんは長宗我部元親より認知が低い
     ・非理法権天は聞いたことも見たこともない
     ・忠誠心が強いは「怖い」マイナスのイメージ
     ・影響力が強い、生き方がかっこいい、強いは良いイメージ
     ・龍馬があこがれた人物だとは知らなかった
     ・龍馬との違いは露出度が低く、名前も読めない

 BS放送『楠木正成の選択!』放映
 主な発言・キーワード
  ・死んだ後も歴史に影響を残し続けた武将
  ・出自も定かでないヒーロー
  ・おおらかで品のある文字
  ・建武の新政で、その後300年の多極分散型社会へ
  ・フットワークが軽く、逃げるという発想を持っていた
  ・農耕では食っていけないので商売に走った~リスクのとれる人間・ベン
   チャー精神
  ・尊氏をやっつけて無力化した足利政権を取り込む
  ・軍事的にはリアリストで、政治的にはロマンチスト

  ・正成も尊氏も大きな恩賞をもらった。後醍醐を裏切れない
  ・湊川/正成は討死覚悟でもなかった。大将の首さえ取れば大軍にも勝てた
  ・湊川/砦を築いて防衛戦をやればよかった
  ・幕末/下級武士にとっての理想像が正成。尊王精神があれば政治に関わ
   れる
    当時流行った言葉「正成する」~天皇への忠義を貫いて俺たちは死ぬ
  ・太平洋戦争/正成の「無駄に死ぬな。」の精神が、全く反対の方向に
   行ってしまった

  ・一貫して人気があり、日本人の自立像の変遷が正成の変遷

飯盛城の石垣
飯盛城の石垣は、織田信長より3年も早い石積み
1560年ごろの50カ所の石垣発見
7208土)、午後1時~ 四條畷市民総合センターで調査結果報告会 無料

全国南朝の歴史資産等所在市町村活性化協議会

○リーフレット制作
   「南朝哀史の里を訪ねる」
○令和元年度総会
 日時 926日(木)~27日(金)

 場所 吉野町吉野山
 内容 26日 総会・パネルディスカッション・人形劇・夕座謹行体験・吉野
       朝宮址見学
       〔パネルディスカッション・パネラー〕
       五條元滋(八女市)西住欣一郎(菊池市)扇谷昭(四條畷市)
    27日 吉水神社参拝・後醍醐天皇正辰祭・御忌・自由散策・吉野神宮
       正式参拝

次回例会について 注意! 8月例会はお休みです。

 日時 910日(火)午後130分~3時
 場所 教育文化センター2階・会議室
 内容 ・「護良親王と楠正行」
傍聴、入会大歓迎!


郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、一緒に学びませんか。
例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです。
お気軽に、教育文化センターの2階を覗いてください。お待ちしております。

正行通信91号・92号はコチラからも(PDF)


教文 親子体操教室で笹飾り!

日時 令和元年7月4日(木) 午前10時
場所 教育文化センター ホール ・会議室
イベント内容 七夕さんの笹飾りを作って、タンザクにお願いごとを書いて飾りました。
大変上手に出来ました◎

   

教育文化センター市民教養講座  
郷土、四條畷ゆかりの人物シリーズ(第2回)をお届けします 
太平記を読み解き、楠氏徹底検証! 
~ 正成、正行を伝える原典に触れる ~

日時 令和元年6月21日(金) 午後2時より3時半
場所 教育文化センター ホール 
イベント内容 太平記を読み解き、楠氏徹底検証!
今回のテーマは「笠置山に正成登場、そして赤坂合戦として正成、天王寺に出撃し、未来記を見る」を詳しく解説して頂き、アッという間の1時間半になりました。
講師は四條畷 楠正行の会代表の扇谷昭さん。



四條畷楠正行の会 第53回例会 

日時 ■第53回例会 
■令和元年611日(火)午後1時30分~3
場所 ■四條畷市立教育文化センター
<例会の様子>
龍覚坊と藤原秀康は、共に和田義盛の末裔であった
 楠正行顕彰を目的の第一に勉強会を続けていることで、今まで分からなかったり、見えなかった歴史や史実、伝承、事象が見えたりと、思わぬ発見をしてきた。また、楠正行通信の発行や教育文化センター楠正行資料室の開館、教育文化センター公式ホームページへの活動のアップ等を通じ、全国各地から、問い合わせを頂いたり、それこそ思わぬ貴重品の寄贈を受けたりと、喜びと感謝にたえない。
 今月のテーマ「楠正行の文化力・政治力」は急遽取り上げることとなった。
 というのも、正成・正行の師、龍覚坊が和田氏の乱で知られる和田義盛の末裔であることは分かっていた。そして、承久の変で後鳥羽上皇軍の総大将を務めた藤原秀康が和田氏に連なる一人であることも分かっていた。
 しかし、正行に焦点を当て調べていくと、今回2つの大きなことが分かった。
 一つは、和田朝正改め龍覚坊と藤原秀康が共に和田義盛の末裔であること。
●秀康が潜んでいた地が田原であることの傍証発見、小字「隠里」
 今一つは、藤原秀康が承久の変で敗れ隠れ住んだと云われる讃良郡の場所が田原ではないかと云われる中、下田原の山中に小字「隠里」を発見したのである。
 和田義盛は、源頼朝政権発足時における侍所別当職を務めた名将で、桓武平氏の流れをくんだ三浦氏流で、父、義宗が弟義澄に家督を譲ったことから、和田氏を名乗り、始祖となった人物であった。鎌倉幕府幕閣に隠然たる勢力を誇示した名将・坂東武者の末裔、それこそ龍覚坊の出自であった。
 龍覚坊が正行にもたらした全人格的教育は、一人の武将としての在り方はもちろんの事、中央政治における知見や識見も伝えたであろうことは容易に想像できる。千早赤阪という田舎の一豪族に過ぎなかった楠氏にとって、龍覚坊がもたらした情報は、全国そして中央政治に繋がる政治・経済・文化に通じるものであっただろう。
●正行の文化力・政治力の背景に、鎌倉中央とつながる龍覚坊の出自
 楠正行の政治力・文化力の背景には、龍覚坊の出自がもたらした多くの情報があったものと考えられる。
 また、龍覚坊と藤原秀康が和田氏の同門であったという事実は、四條畷と千早赤阪という二つの地を繋ぐ縁の発見であり、歴史の縁に感謝である。

 
                例会の様子

楠正行通信第89号(611日発行)
・現地学習で楠正成・正行親子の生地、千早赤阪を訪ねる
・建水分神社正式参拝、本殿拝観、扁額裏書閲覧と村立郷土資料館・下赤坂城址・寄せ手塚・身方塚へ
・木額の扁額裏書に残る正行最古の直筆文字との対面に感動!
楠正行通信第90号(611日発行)
・電通大プロジェクト第3弾・楠正行ポスターセッション、講義・現地学習始まる!
・511 現地学習「渡辺橋・四條畷神社・小楠公墓所・和田賢秀墓」68現地学習
 『湊川神社:正成殉節の地・嗚呼忠臣楠子之墓・宝物館』

529 講義「正行概論」

楠正行の文化力・政治力
正成・正行に鎌倉中央政治との深いパイプ
正成・正行の師、龍覚坊は頼朝政権の侍所別当・和田義盛の4代末裔
承久の変で後鳥羽上皇軍総大将を務めた藤原秀康も和田義盛の実弟、宗実の2代末裔
~ 千早(龍覚坊)と四條畷(藤原秀康)に、和田氏繋がりの縁が!
 そして、鎌倉幕府で中央政治に君臨した和田義盛の末裔がもたらした知見
 正成・正行の文化力・政治力の原点に、龍覚坊の出自がもたらした教えがあった!

     ●秀康と龍覚坊、和田氏繋がりで四條畷と千早赤阪の縁
         田原・千早に和田氏繋がり
  田原遺跡~縄文・弥生文化~承久の乱・藤原秀康~和田一族
  ~隴覚坊~楠氏
   楠氏の文化力の背景に鎌倉中央・坂東武者和田氏の指南

 承久31221、承久の乱では、藤原秀康が総大将を務める後鳥羽上皇軍2万と、北条泰時(3代執権)が総大将を務める幕府軍19万が戦った。日本歴史地名辞典には、上皇軍の総大将、藤原秀康とその弟、秀澄が戦いに敗れた後、潜んでいたと云われる讃良郡とは、田原荘でなかったか、と記している。
 田原遺跡周辺には、縄文・弥生の古くから人々が住んでいたと思われ、田んぼや平地が広がり、美しい山並みが開け、人々の営みの様子を伝える字名が残る。この辺りに藤原兄弟は潜んでいたのであろうか。
 また、藤原秀康は北条義時(2代執権)に滅ぼされ、飛騨の山奥に落ちて行った和田義盛の弟、和田宗実の末裔でした。正成・正行の師となった僧・龍覚坊は、この和田義盛の末裔、和田四郎朝正でした。田原ゆかりの藤原秀康と、楠氏ゆかりの龍覚坊が、共に同じ和田一門であったことに、不思議な縁を感じる

 また、正成・正行の師、龍覚坊が、源頼朝から信頼され、頼朝が征夷大将軍宣下の折侍所別当職に任じられた坂東武者であった和田義盛の末裔であったことは、楠父子の政治力・文化力の大きな背景となったのではないか。楠氏は、単に千早東条の豪族にはとどまらず、中央ともつながる識見を持ち得ていた。


・源頼朝、義盛を武者所別当に任ずる
・義盛は、鎌倉幕府で侍所別当を務め、幕閣として隠然たる勢力を追誇った名将
・2代北条執権義時、義盛を追放(健保元121352日)
・和田氏一族、飛騨の国、高山瀧村へ隠遁
・義盛4代目、4男が朝正、改め龍覚坊
・義盛の弟宗実の子、秀宗は千常末裔の藤原氏と養子縁組 その藤原秀宗の子が秀康
・秀康、承久の乱で泰時と戦い破れる(承久3年・1221 522日~615日)
・龍覚坊と秀康は、共に、難を逃れた和田義盛の末裔であった
・龍覚坊は、河内に入り、正成・正行の師・指南役となる
・秀康は、承久の変で宮軍の総大将となり、破れ、四條畷田原の地に潜伏し、捕まる

正成・正行の政治力・文化力
~ 和田朝正=龍覚坊が伝授したと思われる中央政治・中央文化~
 承久31221、承久の変では、藤原秀康が総大将を務める後鳥羽上皇軍2万と、北条泰時(3代執権)が総大将を務める幕府軍19万が戦った。日本歴史地名辞典には、上皇軍の総大将、藤原秀康とその弟、秀澄が戦いに敗れた後、潜んでいたと云われる讃良郡とは、田原荘でなかったか、と記している。
 田原遺跡周辺には、縄文・弥生の古くから人々が住んでいたと思われ、田んぼや平地が広がり、美しい山並みが開け、人々の営みの様子を伝える字名が残る。そして、下田原北部の山中に、藤原兄弟が潜んでいたのではないかと思われる場所「隠里」の小字を発見した。
 また、藤原秀康は北条義時(2代執権)に滅ぼされ、飛騨の山奥に落ちて行った和田義盛の弟、和田宗実の末裔であることが分かった。宗実の子、秀宗が藤原千常の末裔藤原秀郷流に養子に入り、その子が秀康である

 一方、正成・正行の師となった僧・龍覚坊は、この和田義盛直系の4代の末裔、和田四郎朝正であった。
 田原ゆかりの藤原秀康と、楠氏ゆかりの龍覚坊が、共に同じ和田一門であったことの発見は当地・四條畷と千早赤阪・東条という二つの地を繋ぐ縁を感じる


□龍覚坊の出自がもたらした楠氏の識見

 そして、この発見は何よりも、正成・正行の政治力や文化力を考察するとき、その大きな背景、バックボーンとして認識することで、大きな光が差し込んでくる。
 すなわち、正成・正行の師、龍覚坊が、源頼朝から信頼され、頼朝が征夷大将軍宣下の折侍所別当職に任じられ、幕閣として隠然たる勢力を誇示した名将・坂東武者であった和田義盛の末裔であったことは、楠父子に様々な情報・知識・智恵をもたらしたのではないだろうか。
 師・龍覚坊の教えが、千早東条の一豪族にはとどまらず、中央ともつながる識見を持ち得たことを想像させる。それは、龍覚坊の出自にあった。
 龍覚坊は、意図的に観心寺に入ったのではないか
 扇谷は、今まで、龍覚坊が観心寺に入ったことで、結果として、楠氏の菩提寺である中院(観心寺の塔頭)の僧になったとの理解であった。
 しかし、龍覚坊の出自が明らかになると、偶然観心寺に入ったのではなく、龍覚坊は意図的に観心寺に入り、楠氏との縁を求めたのではないかと考えられる。
 和田氏の乱に敗れ、鎌倉を追放され落人として生き延びざるを得なかった和田義盛の末裔には、反北条意識は綿々と引き継がれていったものと思われる。その事は、藤原秀康が後鳥羽上皇軍の総大将を務め、北条執権政府に立ち向かったことでもわかる。
 龍覚坊が自らの意思で観心寺に向かい、楠氏と交誼を結び正成・正行の師となったとすれば、太平記に描かれた後醍醐天皇と正成の出会い同様に、歴史の奥深さを感じる。
 正成、正行は、千早赤阪から中央に躍り出て、正統な天皇を支え、吉野朝復権ただ一筋に生きることとなるが、龍覚坊が意図的に観心寺に入ったとすれば、二人の運命は歴史的な背景によって導かれていったのである。
 龍覚坊の出自がもたらした楠氏への影響は計り知れないものがあったといえるのではないか。

報告・確認事項
大阪電気通信大学・令和元年度社会プロジェクト実習授業
楠正行ポスターセッション・当面の予定
 612日(水)講義②「スクリーン映像・紙芝居」2本立て 165010号館 ・103教室
 724日(水)学生によるプレゼンテーション 165010号館103教室
 8月~10月  学生によるポスター制作作業
 1110日(日) 四條畷神社でのポスターセッション
 1117日(日) 湊川神社でのポスターセッション

●第8回『楠正行シンポジウム』実施要項
 日時 令和237日(土) 午後2時~午後4
 場所 四條畷市民総合センター1階・展示ホール
 内容 絵本作家・谷口智則さんによる「ライブペインティング楠正行」
    
講師 谷口智則氏(四條畷市観光大使)
    ※四條畷市制施行50周年記念協力事業として実施(四條畷市承認済み)
 絵本作家・谷口智則さんが、四條畷の合戦で討死し、四條畷神社に祀られ、小楠公墓所に眠る武将、楠正行に思いをはせ、大きなキャンパスに正行ワールドを描きます。
 どのような場面がどのように描かれるか、わくわくドキドキしながら時間を楽しんでください。果たしてどのような正行が描かれるか、興味津々ですね。
 ライブペインティングは90分を予定しています。
定員120名 (先着申込制:窓口&電話)/氏名・住所・〒・年齢・電話番号
 就学前及び小学校低学年児童は保護者同伴でお願いします。
申込 120日受付開始  四條畷市立公民館(市民総合センター内)
   〒575-0021 四條畷市中野3丁目525号 電話 072-879-3939
参加 無料
主催 四條畷楠正行の会
共催 なわて学実行委員会
後援 四條畷市・四條畷市教育委員会・四條畷神社・楠公ツーリズム推進協議会
   ・産経新聞社
協力 御妣会・小楠公偲ぶ会
  (後援・協力団体は一部予定。追加もあり)

田原図書館主催「まさつらかるた大会」について
日時 629日(土) 午後1時~午後3時 12:45 現地集合!
場所 田原図書館
内容 低学年(16名)の予選・決選と高学年(16名)の予選・決選

まさつらかるた大会
8月  湊川神社夏祭り 22日(木)~26日(月)5日間 実施日は未定
11月 如意輪寺菊まつり
南朝の歴史資産等所在市町村活性化協議会首都圏連続講演会で扇谷、講師務める
  日時 922日(日)午後5時~6時 定員70人
  場所 奈良まほろば館(東京)
     東京都中央区日本橋室町1-6-2 日本橋室町162ビル2階
  演題 「今、四條畷で蘇る楠正行ワールド」
  ― 吉野・如意輪寺に残した辞世の文章にみる教養 ―
正行3兄弟のお酒
525日(土)、四條畷神社奉納に参列(扇谷)
3兄弟物語の壁掛け寄贈受ける!
 楠公ツーリズム推進協議会・大阪樟蔭女子大学の学生インターンシップ制度
530日(土) 第1回講義に参加(扇谷)
10人の学生参加(3年生5人、2年生5人)でスタート
・アンケート調査結果 楠公さんについて知っていますか?(大学生69人に調査) 
  知ってる 15人 22

  知らない 54人 78%
やってみたいテーマ候補
シンポジウム/楠公飯/マスコットキャラづくり/ゆかりの地を巡るツアー
SNS/アプリ開発/絵本作成/動画作成

<今後の予定>

・6月 正成・正行について講義 613日(木)正行について講義/扇谷
・7月 2班に分かれてテーマ選定・インターンシップ開始
 2019日本遺産認定/河内長野市申請「中世に出逢えるまち」
 ~千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫 ~

 楠木正成ゆかりの観心寺・金剛寺他南北朝時代の面影残す町並み評価
 吉野ユネスコ協会 研修で来阪/日程調整等で協力要請
 
 ~ 上北山村 中垣内教育長より ~
 日時 713日(土)
 場所 建水分神社・観心寺・小楠公墓所・四條畷神社・和田賢秀墓

次回例会について
日時 79日(火)午後130分~3時
場所 教育文化センター2階ホール

内容 「長慶天皇と楠正行」
   ・湊川神社夏祭りのかるた大会について他
傍聴、入会大歓迎!
郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、一緒に学びませんか。
例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです。
お気軽に、教育文化センターの2階ホールを覗いてください。お待ちしております。


正行通信89号・90号はコチラからも(PDF)


教文 親子体操教室で新ジャガ体験!

日時 令和元年5月30日(木) 午前10時
場所 教育文化センター ホール 
イベント内容 今日は、汗ばむまでに晴れ渡り、体操の後みんなでじゃが芋掘りをしました。
たくさん出て来ましたか~⁈
きれいに洗って熱を加え、美味しく頂きました。
   

教育文化センター市民教養講座  
郷土、四條畷ゆかりの人物シリーズ(第2回)をお届けします 
太平記を読み解き、楠氏徹底検証! 
~ 正成、正行を伝える原典に触れる ~

日時 令和元年5月17日(金) 午後2時より3時半
場所 教育文化センター ホール 
イベント内容  第1回市民教養講座では、楠正行を取り上げ、人間像に迫りました。
今回は楠氏に関する原典ともいえる「太平記」を読み解きながら、太平記が伝えようとした正成・正行の人物像に迫りたいと思います。
 初回は、「太平記とは?何か?」から丁寧な解説が加わり、質問等も含め、アッという間の1時間半でした。
この講座は月1回、5回行います。
講師は四條畷 楠正行の会代表の扇谷昭さん。
ご近所、お友達お誘い合わせの上ご参加下さい。

四條畷楠正行の会 第52回例会 

日時 ■第52回例会 現地学習
■令和元年514日(火)午前9時~午後5
場所 ■建水分神社正式参拝と扁額閲覧・千早赤阪散策
<例会の様子>
●下赤坂城址に至る道が通行止めで、思わぬ“散策”に
 今月の例会は、現地学習「建水分神社正式参拝と千早赤阪散策」で、集合地の総合センター・駐車場に三々五々集まり、都合11人で出発。
 午前9時ちょうどに出発し、順調に進み、午前1030分目的地の建水分神社に到着。 岡山禰宜の出迎えを受け、この日の一日がスタートした。
 「扇谷さん。この後どこに行かれるのですか?」と岡山禰宜に問われ、「楠公誕生地、郷土資料館を訪ねた後、下赤坂城址、寄せ手塚・身方塚に向かう予定です。」とお答えすると、「下赤坂城址への道路は通行止めになっていますので、消防署まで行かれて、横の公園に駐車して、徒歩で向かわれるとよいです。」とアドバイスを受けた。
 以前から、下赤坂城址には何度も訪ねているが、中学校の敷地の中を通っていくことに、いささか驚きと疑問・危険を感じていたので、今の時代、子どもたちの安全確保の観点から一般車両の構内通行を規制されたのであろうと、勝手に納得。

 お蔭で、消防署から下赤坂城址まで、約1キロメートルの路を散策することとなったが、千早の村並みや金剛山の麓を一望しながら千早赤阪の広がる棚田風景を楽しみ、歩くことができた。高齢者?の多い会ではあるが、90歳を超えた人も、ほぼ平らな村道を踏みしめながらの散策となり、落伍者も出ることなく目的地にたどり着き、下赤坂城址跡の碑の位置からは、ほぼ千早赤阪村360度の遠望を堪能し、それぞれ満足の様子。途中小雨にあったが、暑くもなく、たのしい現地学習となった。
*楠正行通信 第87号(514日発行)
・リポート『足利義満と楠正行』川口敦子
●*楠正行通信 第88号(514日発行)

・王権簒奪計画は本当にあったのか/肯定説と否定説、真っ向対立
・公武に君臨した室町将軍、足利義満~若くして昇進し、太政大臣に上り詰める・足利義満の公家化/贅を極めた拝賀・行幸を演出

現地学習・建水分神社正式参拝と扁額閲覧・千早赤阪散策
●建水分神社で正行直筆・扁額裏書に対面

 この日、午前850分、参加予定の会員が次々と集まり、国府号・山添号・土井号の3台の車に分乗して出発。
 目的地の建水分神社に到着した一行は、岡山博美禰宜の講話をお聞きした後、本殿で正式参拝。

 そして、普段非公開の本殿に上がり、岡山禰宜から説明を受ける。
 その後、社務所に入り、念願の木額扁額の裏書を一人一人拝見。
 岡山禰宜は、見やすいようにと社務所入口に扁額を移し、照明を当てて下さるという配慮に、一同大感激。680年前の木額という事で、摩耗が激しく、一部虫食いも進んでいる。しかし、漆文字で書かれた正行の直筆は、照明を当てることで、何とか判読可能で、その老成した達筆ぶりは想像通り。
 これが正行最古の文字かと思いつつ、あたかも楠正行本人に合ったかのごとき錯覚に陥る。
 何度見ても、身震いがする。

●楠公誕生地・村立郷土資料館見学
建水分神社を後にして楠公誕生地に移動。
千早赤阪村のほぼ中心に位置するこの地には、郷土資料館の外に、同村の教育委員会、大阪最古最小の「道の駅」等がある。
 楠氏ゆかりの展示や戦前使われた教科書に載る楠正成や正行を堪能。

●下赤坂城址・棚田と寄せ手塚・身方塚
 下赤坂城址は、過去何度も訪れているが、今までは千早赤阪中学校の敷地内を通って下赤坂城址に着いていた。

 この城は籠城するには、あまりにも平城に近い地勢にあることがすぐわかり、正成が笠置に赴き、とんぼ返りで帰ってきて準備不足で兵をあげたことも重なり、赤坂挙兵は1カ月もたずに投げ出すことになった。
 眼下に広がる棚田は、日本棚田100選にも選ばれ素晴らしい光景が広がる。
かつて、この地に正成そして正行も、立ったと思うと万感迫るものがある。
 一行は下赤坂城址を後に、森屋惣墓の寄せ手塚・身方塚に向かう

 日本のどこにもある地域の墓の、しかも多くの墓石と同じように立つ2基の墓は、特に説明がなければ分からない状態で立っている。
 敵も味方も死ねば同じという思いに加え、楠氏が民と共に生き、戦った証が、この在り様にも見て取れるのではないか。
ことさら区画を分けるとか、村人の墓と区別するというような思いは微塵も見せない。
 我々も、千早赤坂の戦いで亡くなった楠軍の兵士はもちろん、押し寄せ亡くなった幕府軍の兵士の墓にもお参りし、手を合わせた。
 今まで何度も訪れており、寄せ手塚が総高さ182センチの大型の石像五輪塔であることは分かっていたが、五輪塔の下に石組みの井戸のような穴が開いていることには気づかなかった。
数メートルはあろうかと思われる石組の穴の上に寄せ手塚が建っているが、
千早赤阪村発行「千早赤阪村の文化遺産」冊子の説明では、「用途は不明」とのことである。
五輪塔の下に、まるで井戸のような深い石組の穴、これはいったい何を意味するのだろうか。

(写真:上から、建水分神社休憩所で岡山博美禰宜の講話を受ける/普段非公開の本殿前で岡山博美禰宜の説明を聞く会員/木額扁額の裏書/森屋惣墓身方塚/森屋惣墓寄せ手塚・五輪塔の下には石組の大穴が数メートル掘り込まれている)


■消防署横公園の休憩所で例会
8回楠正行シンポジウムについて
日時 令和237日(土)、午後2時~4時
場所 四條畷市立総合センター・展示ホール
内容 
絵本作家(観光大使)谷口智則さんによるライブペインティング
   『楠正行』

 絵本作家・谷口智則さんが、四條畷の合戦で討死し、四條畷神社に祀られ、小楠公墓所に眠る武将、楠正行に思いをはせ、大きなキャンパスに正行ワールドを描く。
 来場者は、どのような場面が、どのように描かれるか、わくわく、ドキドキしながら時間を楽しむ。果たして、どのような正行が描かれるか、興味津々。
 ライブペインティングは90分を予定。
 完成した楠正行巨大キャンパスは市役所含む公共施設で掲示予定。
※四條畷市制施行50周年記念協力事業(申請済み)、「楠公さん」大河ドラマ誘 致協議会協賛事業として開催。
定員 120名(先着申込制:窓口&電話)/氏名・住所・〒・年齢・電話番号

 就学前及び小学校低学年児童は保護者同伴。
申込 120日受付開始
   四條畷市立公民館(市民総合センター内)
   〒575-0021 四條畷市中野3丁目525号 電話 072-879-3939
参加 無料
主催 四條畷楠正行の会
共催 なわて学実行委員会
後援 四條畷市・四條畷市教育委員会・四條畷神社・楠公ツーリズム推進協議会   ・産経新聞社
協力 御妣会・小楠公偲ぶ会
  (後援・協力団体は一部予定。追加もあり。)


●令和元年度大阪電気通信大学連携事業「ポスターセッション」について
*実施済み
58日 クライアント紹介(扇谷・国府・土井)
     市:安田・中村・鈴木

511日 学外学習
     /渡辺橋・小楠公墓所・四條畷神社・和田賢秀

    (扇谷・国府・土井・山添)
     市:青田/産業振興 銭谷/魅力創造
🔶学外学習リポート

5月11日(土)、午後1時、天満橋のキャッスルホテル前バス停に、電通大学生16名と木子先生、市職員2名、楠正行の会4名が集合。
小楠公義戦之跡碑の前では、扇谷の説明をくいるように聞き入る学生が印象的。
 説明が終わるとスマホやデジカメで、同碑を撮る学生の動きに意欲を感じる。
 八軒や浜の船乗り場に降り、正行時代の大川・渡辺橋に思いをはせる。
 四条畷駅に戻った一行は、改札口横にある正行銅像を鑑賞。
 この銅像は、正行が吉野を訪れ如意輪寺本堂の扉に辞世の歌を記した光景を描いたもので、左手には矢立を、右手には筆を持っている姿が描かれている。刀を持たず、筆を持つ姿に、正行の博愛精神・平和主義が読み取れるのではないかとの扇谷の説明に、多くの学生は納得の様子。
 小楠公墓所では、樹齢600年近くなった楠木の言われ、正四位下検非違使兼河内の守楠公碑の説明に続いて、「増従三位楠正行朝臣之墓」と大久保利通が揮毫した7㍍50㌢の巨石碑について説明。
 阪神淡路大震災や大阪北部地震でもびくともしなかった巨石碑の基礎に注がれた当時の人々の思いを説明。5メートル近く掘り込み、250本の松の杭を打ち込み、その上に松の生板を敷き詰め、砂礫や石灰で打ち固めた基礎のお陰で、この7㍍50㌢もの巨石碑がびくともしないのである。
 湊川神社境内の正成墓『嗚呼忠臣楠子之墓』に寄せられた人々の思い(使われた医師が、御影・白川・和泉と正成の活躍した場所から産出したものを使い、贔屓の上に乗る姿。しかも、土台の石には免震構造まで)にも触れながら、正成・正行が如何に後世、多くの人々から慕われたかを物語るエピソードとして紹介。
 四條畷神社では、櫻井訣別の父子像、久子の方訓戒の母子像、御妣神社創建の話等をした後、休憩所に移り、扇谷作詞「楠正行」を扇谷が熱唱?! このサプライズに、多くの学生は、何が始まったのか、と半信半疑で聞き入った。
 最期は、和田賢秀墓に移り、「歯神さん」の謂れや、和田賢秀の最期の場面を説明し、この日の学外学習は無事終了した。


※今後、当面の予定
 529日(水)16501820 第1回講義「正行概論」
 68日(土)930分四条畷駅集合 944分発に乗車
      湊川神社/正式参拝と学芸員講義・弁当持参
 612日(水)16501820
      第2回講義「スクリーン映像楠正行2本立て
(写真:上から 渡辺橋・小楠公義戦の跡碑前で/JR四条畷駅の小楠公像の前で/小楠公墓所で/四條畷神社で櫻井訣別父子像を説明する扇谷と聞き入る学生/和田賢秀墓で)

●親孝行の町/楠三兄弟物語 四條畷のお酒プロジェクト

歴史を繙き奈良吉野の蔵で造る四條畷のお酒
正が無い(しようがない)酒「行」「時」「儀」
※販売 ㈱ハジメフーズ はじめ酒店
    〒575-0003 四條畷市岡山東2-2-12 ℡ 072-879-1344 
 また、小193月、紙芝居刊行会発行の紙芝居「小楠公の母」は、20枚セット注文専用メール order@hajimefoods.com
リーフレット及び楠三兄弟物語の監修 扇谷協力
525日 四條畷神社奉納/扇谷参加予定

田原図書館主催「まさつらかるた大会」の開催
 日時 629日(土) 午後1時~3時 スタッフ1230集合
 場所 田原図書館

 定員 低学年・高学年それぞれ16名まで
 内容 低学年の部 1300予選 1330決選
    高学年の部 1400予選 1430決選
 協力 読み手派遣、かるた4セット、景品(絵札大判)


●産経新聞・オピニオン/日本人の心『楠木正成を読み解く』
取材協力 422日 安本記者/5月掲載予定
内容 「正成・正行の文化力」
ポイント ①辞世の文章~宗教・文化に深い造詣
     ②木額の裏書~老成した達筆ぶり・年齢論争
     ③老覚坊の出自

~頼朝政権の武者所別当を務めた坂東武者・和田義盛の末裔
 当時、一流の坂東武者と楠氏を繋ぐ太いパイプが、楠氏の政治力・文化力の背景になったのではないか

●東京奈良まほろば館講演会について/9月、扇谷講演
 全国南朝の歴史資産等所在市町村活性化協議会の事業として実施
 事務局:吉野町 四條畷市も参画
 ・開催場所 東京日本橋 奈良まほろば館
 ・開催日時 6月~94回連続講座 各回午後5時~6時の約1時間
 ・定員   70
 【講演日程・講師・演題】

 622日(土)田中岳良(吉野町)
       「宮方(南朝)は何故吉野を選ばれたのか」
 720日(土)西住欣一郎(菊池市)
       「九州南朝と菊池一族の忠勤
 831日(土)五條元滋(八女市)
       「九州南朝の息吹を今に伝える奥八女、そして五條家」
 922日(日)扇谷昭(四條畷市)

       「今、四條畷で蘇る楠正行ワールド」

●次回例会について
日時 611日(火)午後130分~3時
場所 教育文化センター2階ホール
内容 「和田義盛と楠正行」~大きな発見!
   ①正行文化力の背景に、鎌倉中央・坂東武者和田氏の影響
   ②承久の乱・藤原秀康(田原)と龍覚坊(赤坂)に和田氏繋がりの縁

傍聴、入会大歓迎!

郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、一緒に学びませんか

例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです。
お気軽に、教育文化センターの2階ホールを覗いてください。お待ちしております。
正行通信87・88号はコチラからも(PDF)

  


教文 「親子ひろば」

日時 令和元年5月2日(木) 午前11時15分より
場所 教育文化センター ホール・会議室1・会議室2 
イベント内容 絵本の読み聞かせの後では、体育遊びやボーリングゲーム、スナッグゴルフを楽しく行いました。

教文 親子体操教室で「鯉のぼり工作」

日時 平成31年4月25日(木) 午前10時より
場所 教育文化センター ホール・会議室 
イベント内容 みんなで鯉のぼりを作って広場で泳がせました。

教文「子ども ひろば」

日時 平成31年4月22日(月) 午前10時30分より
場所 教育文化センター ホール 
イベント内容 4月23日(火)は「子ども読書の日」です。読書週間に因み、絵本の読み聞かせとエプロンシアター、手作りおもちゃ遊びを行いました。

四條畷楠正行の会 第51回例会 

日時 平成31年4月9日(火) 午後1時30分~午後3時00分
場所 教育文化センター2階 ホール
<例会の様子>
●会員からもリポート、川口さんから報告

 今月の例会は、『楠正行と足利義満』がテーマでしたが、扇谷以外に、川口さんからもリポートしていただきました。
 A4用紙四枚にびっしりと、「義満の時代を検証することが正行の夢を考える事に繋がるのではないか」との問題意識から、足利義満の業績を分析、その上で「義満と正行の直接的な接点は見つけられなかったものの、義満の時には、日本の将来を考えた上でも(正儀が)変節を犯したことも、勝ち目のない戦争は一刻も早く終わらせた方がよいという、正行の平和主義につながっている」のではないかとリポートしていただきました。
 また、義満と正行の共通点をあえて挙げるならと、「情報の収集」「分析の重要性」を熟知していること、そして現実的であること、合理性を追求していること、ではないかと結んでいます。義満の政治を理解するうえで重要な情報と云える、「守護大名と国人一揆」や『室町幕府の構造』等のデータも準備してくれました。
 久しぶりの会員のリポートに、出席会員から、大きな拍手が送られました。川口さん、ありがとうございました。


●桜井の別れカレンダーと紙芝居「小楠公の母」の掲示に、首ったけの会員
 今月は、それぞれ寄贈いただいた、「櫻井訣別をデザイン化した三光丸の2018年度カレンダー」と昭和19年作の紙芝居「小楠公の母」を黒板に掲示しました。
 奈良県高取町の㈱三光丸の「三光丸」は、後醍醐天皇が身体の具合を損ねたときに大和武士・越智氏が献じた秘伝薬によって瞬く間に快癒した時、後醍醐天皇は、その霊験に驚き、「日(太陽)の神、月の神、星(金星)の神が与えたもうた薬」と讃え、以後「三光丸」と名乗るようにと詔されたと伝わる薬です。

 また、小193月、紙芝居刊行会発行の紙芝居「小楠公の母」は、20枚セットで、大きく2場面、桜井の駅と母久子の方の訓戒と、吉野詣でと四條畷の合戦で、正行11歳から一挙に23歳になった物語展開です。この紙芝居は、産業振興課の鈴木課長が入手されたもので、私たちの会に寄贈を受けました。行政と市民協働のまちづくりとは、こういう心遣いがあっての事ではないか、と教室は非常に和やかな雰囲気に包まれました。
㈱三光丸のカレンダーは、近々、教育文化センターの「楠正行資料室」に展示予定です。
CD「大楠公」のプレゼントも!

 なわて音楽サロンを主宰される西口さんから、松原インターネット放送局の「アナログ横丁」で、今年223日に放送された「なわて音楽サロンでの10曲」の入ったCDを頂きました。このCDには、西口さんのご自宅に保存されてきたレコード「大楠公」が入っています。
 穴倉正信と西六郷少年少女合唱団が唄う「大楠公」で、子どもたちのさわやかな声で、歌い上げています。大楠公の曲は、どちらかというと軍歌調のアップテンポの曲が多い中で、このレコードは、ゆったりと聞くことができました。

 西口さんは、この日、例会のほぼ最後まで出席くださいました。ありがとうございました。そして、松原インターネット放送局のパーソナリティ「もっかのおっちゃん」さん、CDにして頂きありがとうございました。

    写真① 
    写真②  


*楠正行通信第86号(49日発行)

1011月 四條畷神社・湊川神社で「くすのきまさつらポスター・セッション 」を企画
・大阪電気通信大学と四條畷楠正行の会のコラボ第3弾
A1ポスター20枚に、正行を描
・第7回楠正行シンポの採録集刊行 A432ページ・モノクロ 頒価200円
・楠公まつり武者行列事前説明会で「正行の生涯」紙芝居上演


●楠正行と足利義満


足利義満(延文31358 ~ 応永151408 51歳没)
  ~ 公武の境界を超えて権力を掌握
    義満は廟堂の階段を駆け上がり、摂関や治天の君の如く振る舞うように    なった

    この時代の政治は文化の支えを必要とした
    義満の感性は、公家的教養が土台となっている
(人物叢書『足利義満』より)

新井白石が義満の功績と掲げる5か条

① 南北朝を統一して後代ながくその武威を誇ったこと

② 極官に昇り太上天皇の尊号を受けたこと
③ 武権を確立したこと
④ 武家が対外的に日本国王と認められるようになったこと

⑤ 義満時代の幕府の礼式・職制がながく武家政権の先例となったこと

(中公新書『足利義満』より)

 
義満の経歴(PDFで開きます)

多彩極まる事跡
・官位の昇進のたびに公武を挙げて拝賀や大饗、牛車始などの大掛かりな昇進儀 礼を行う
・壮麗広大な邸宅を建造し、そこに二度の行幸を迎える
・巨大な禅宗寺院を造営し、顕(天台)・密(真言)をも統合させ、自身のため の宗教空間化
・権勢の象徴として360尺(109㍍)にも達する七重の高層タワーを屹立
・伊勢・南都・山門・高野山など主要寺社に何度も参詣。随員は奇抜なファッシ ョン
・九州から東海まで、全国各地に遊覧。
・外国の使者を迎接

右近衛大将となる
*源頼朝の拝賀の隊列
 猪飼4人、御厩舎人4人、将曹・将監・府生・庁長官各一人で4人、前駈笠持・ 前駈各10人、番長、頼朝の車(車副2人、白張、牛童)、近衛舎人5人、雑色7 人、雨皮笠持10人、布衣侍7人、扈従の公卿・殿上人計3人、御調度懸1人、隋 兵7人 計70余人
-このそれぞれが複数の従者を随え、内裏・仙洞・摂関家へと威儀を正して進む
*義満の拝賀
・周到な練習
室町第の造営
・拝賀の日
 隊列=前駈笠持10人、居飼4人、御厩舎人4人、一員3人、殿上前駈37人、地下 前駈10人、番頭8人、帯刀24人、番長1人、義満の車(車副2人、牛童、雨皮持 、仮御随身、笠持各1人)、下臈御随身5人、雑色10人、御後官人3人、衛府侍 10人、扈従公卿21人、布衣馬打13人 計169


-侍所の山名義幸が率いる100余騎が先導。頼朝の例によるも、数倍する規模
公卿・殿上人がこぞって従ったことは頼朝の拝賀には見られない

室町第行幸
・後円融天皇の行幸
・義満が右大将として先導する行粧
 移馬の居飼、御厩舎人、番頭10人、太刀帯の侍20 人が前行
 義満は5尺に余る雲雀(ひばり)毛の馬に跨り、
 随身・副舎人が馬の口を取り、馬副・仮随身・侍 ら数十人が従う堂々たるもの

・経路
 
土御門内裏から室町第へ直行するのではなく、東 の洞院を南行、中御門を西行、室町を北行、一条 を東行、今出川を北行、北小路を西行、再び室町 を北行。

 申の刻(午後4時ごろ)から深夜に及んだ
311日から316日まで続いた酒宴
 舞御覧・和歌・蹴鞠・三船等の遊び

皇位簒奪説をめぐって

・中世社会において、武家はもとより臣下が天皇を自称する可能性は皆無で ある。
・持明院統-北朝がいかに衰頽していたとはいえ、それは現在の皇統の衰頽 であって、いわゆる男系による万世一系というドグマはほとんど関係ない 。

・「皇位簒奪計画」の影響はなおあちこちに見受けられるが、いずれも新た な史料や知見に基づくとは言い難い。
別紙資料『足利義満の王権簒奪計画は本当にあったのか。』(下記掲載)
足利義満の王権簒奪計画は、本当にあったのか。
今谷明は、義満の王権簒奪計画を断定的に説き、小川剛生は、義満は天皇制を損ずるようなことは一切していない、と説く。

*今谷明著「室町の王権」より
                義満    子・義持 ~将軍に
                弟・義嗣 ~天皇に

義満の真意 170
- 義満の簒奪計画の最終局面は未遂に終わったので、具体的様相については推測の域を出ない。簒奪の意図そのものを疑問視する学者もあるが、”叙任権闘争”以来数々の義満の、いわゆる「僭上㊟1」行為、ことに百王説の流布㊟2などはこれを簒奪意図と結び付けずしては、到底、理解不可能な事象である。
 あえて、ここで大胆な臆説を披露すれば、義持の将軍職は、そのまま温存して幕府機構を総括せしめ、弟(㊟ 次男)の義嗣を天皇に据えて足利氏で将軍と天皇を独占し、その政権を盤石の安泰に置くというのが義満の構想だったと思われる。義嗣の行為は、後小松に強要して禅譲に誘導するか、あるいは気長に後小松の病死を待つか、ともかく後小松から皇位を義嗣に移すというのが義満の目論見であったことはほぼ間違いあるまい。

㊟1  僭上
       ~身分を超えた、差し出がましい出すぎた行為。
㊟2  百王説の流布
       ~義満はまさに「百王の流れつき」た段階に、自らの政治的立場を置いていたわけで、「百王の墜緒を尋ね」とは、百王の後を襲うのは自分以外にありえないこと(たまたま義満は戌年生まれでもある)という確乎とした信念のもとに、(王権の)簒奪を強く示唆した言葉であったと思われる


*小川剛生著「足利義満」より
皇位簒奪説をめぐって 207

 義満が明らかに「治天の君」(この場合は鳳凰)を意識して行動し、かつ周囲も法王に準じて待遇したことは、史家が種々の微証を挙げている。そこで義満が皇位を奪わんとする野望を抱いたとする論がある。そのもっとも代表的かつ淵源にあるものが田中義成の説で、義満は「皇位窺覦(きゆ)㊟3」、すなわち後小松天皇を退位させて鍾愛するわが子義嗣を即位させる腹積もりであったとし、「彼が最終の目的は愛子義嗣を天子と為し、己自らは太上天皇たらんとするにありし事疑うべからず」と述べた。(『足利時代史』)。臼井信義『足利義満』もこの説に少しく好意的に触れており、更に近年、今谷明氏『室町の王権』が、義満に「皇位簒奪計画」があったと断言して話題を呼んだ。
 「窺覦」「簒奪」といった刺激的な言葉は、客観的な考察を妨げるが、義満に数々の「僭上」の振る舞いがあり、あるいは現実に太上天皇の尊号宣下があったとしても、そうした野望を云々することの謬(あやま)りはすでに明らかにされている。
 天皇は子であっても君主、上皇は父であっても臣下である。太上天皇の尊号とは天皇が臣下に贈る身位であり、義満がたとえ如何なる破格の待遇を受けようと、それは後小松天皇との関係に基づく。義満は後円融とは対立したが、天皇を頂点とする体制を損ずることは一切していない。

 従って、「義満の上皇待遇」と「義嗣の即位」とは全く次元の違う事柄で、この学説への批判は、櫻井栄治氏の「そもそも皇統は天皇(の血)から発生するものであって上皇(の号)から発生するものではない。この最も基本的な理解を忘れた点に「義満の皇位簒奪計画」説の誤りがあったといえよう」(『室町人の精神』〕という言に尽きている。
中世社会において、武家はもとより臣下が天皇を自称する可能性は皆無である。
 ㊟3 窺覦

       ~身分不相応なことを伺い臨むこと

*臼井信義『足利義満』(人物叢書)より
義満の家族 257pより
- 義満は義嗣をどうしようとしたものであろうか。
果たして義持に代わって足利将軍としようとしたのか、またはこれを公家として取り立てんとしたものか、あるいはまた一部の説のように義満に果たして皇室を傾けんとする考えがあったか否か、それらはすべて推測の域を出ない。

- 新井白石は「読史余論」の中でその功績と称せられる五箇条を掲げる。
南北朝を統一して後代ながくその武威を称せられ、極官に昇り太上天皇の尊号を受け、これが武家の光栄と称せられた。すなわちここに武権を確立したこと。またこの時から武家が対外的に日本国王と認められたこと。及び義満時代の幕府の礼式・職制がながく武家政権の先例と仰がれたこと。これらの事こそ義満の歴史上の位置を物語るものであって、国体上・道徳上の批判をはなれて認識すべき事柄である。

令和元年度大阪電気通信大学連携事業について


企画=武将・楠正行を後世に伝えるポスターセッションと紙芝居上演
 令和元年度、木子香教室では、過去2年間に制作した「絵本」「カルタ」をベースに、「楠公父子物語」NHK大河ドラマ誘致協賛事業として、くすのきまさつらポスターを制作し、正行ゆかりの四條畷神社・正成ゆかりの湊川神社でポスターセッションを行う。
ポスターの大きさはA1サイズで、20枚制作の計画。
制作したポスターは、市の事業や関連事業等で掲示するなど、積極的に活用を図る。同時に、四條畷楠正行の会が制作した絵札22枚を使った映像スクリーン紙芝居「正行の生涯」を、学生の手によって市の内外で上演する。

令和元年度社会プロジェクト実習授業・スケジュール表


日程 内 容 備 考
4   テーマごとに班分け

過去2年の制作物紹介
410 全体ガイダンス

417 テーマごとに班分け
5 8日(水)

11日(土)

29日(水)
クライアント紹介

学外学習(渡辺橋、四條畷神社他)

楠正行の会による講義
かるた大会

 

歴史年表を使った正行概論
6 8or15日(土)

12
学外学習(湊川神社)

楠正行の会による講義

演習
正成ゆかりの地

正行の生涯スクリーン映像・詩吟

ポスター企画案
7  

24日(水)
演習

対外(正行の会)プレゼン
企画案発表・ポスター制作

PPTによるプレゼン
9   制作 確認・制作
10  

未定
作品完成品提出

湊川神社
102 発表予稿

1回ポスターセッション
11 10日(日) 四條畷神社 2回ポスターセッション
1   全体まとめ

全体報告発表
最終報告書提出

115 木子班学生一人発表

制作〕 大阪電気通信大学 社会プロジェクト実習 木子香教室
〔依頼〕 四條畷楠正行の会(指導・監修)
〔後援〕 四條畷市・四條畷市教育委員会


□ 第7回楠正行シンポジウム「採録集」発行
 A432ページ・モノクロ
 頒価200円/取扱い・申し込みは、教育文化センター

□ 正行3兄弟のお酒造り
 
親孝行の町 四條畷のお酒/協力要請あり
 
発売元 ㈱ハジメフーズ はじめ酒店/大東市北楠の里町
 
歴史を繙き奈良吉野の蔵で造る四條畷のお酒/「Tura toki時 nori儀」
 
純米 七割磨き 山廃四段仕込み
 
パンフレット・リーフレット&冊子
 
~ 楠三兄弟物語:父の遺志を受け継いだ親孝行な息子たち

□ 大阪市立中央図書館で、楠一族に関する蔵書・資料等の展示
  327日(水) 木村・国府・国府文・土井・扇谷
 
□ 教育文化センター利用サークル連絡協議会・総会報告/土井企画委員よ  り
  
総会 323日(土)

□ ㈱三光丸・歴史講演会

 324日(日)、「大和の中世史は面白い! 越智氏と応仁の乱・松永久秀   と柳生氏」
 講師:天野忠幸(天理大学准教授);講演内容の一部は通信86号参照
 後醍醐天皇が名づけた「三光丸」
 吉野に入った後醍醐天皇が身体の具合を損ねたとき、越智氏が秘伝薬を献じ瞬 く間に快癒その時、後醍醐天皇は、霊験に驚き、

 「日(太陽)の神、月の神、星(金星 )の神が与えたもうた薬」と讃え、以 後、「三光丸」と名乗るようにと詔された、と伝わる。
 ㈱三光丸を承継する米田家は、越智一党。
 江戸時代「置き薬」が始まり、三光丸は大和売薬の看板商品のひとつになる。

□ 国中神社・入江宮司からの資料提供
 「楠公精神の歴史」松浦光修(皇学館大学教授):湊川神社婦人会講演録
  正成・正季最後のやり取り

  七生滅敵 ~ 七生まで、ただ同じ人間に生まれて朝敵を滅ぼさや
      地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩

                    六道
               迷いの世界
                      解脱
                      宗教的な救いの世界=極楽往生
 正成・正季=罪業の深い悪念
 私たちは、宗教的な救いを拒否するとの宣言
         ~七生滅敵
 七生滅敵が「七生報告」に変わったのは何時 か
 =廣瀬武夫の漢詩(明治)


□ 河内観光局のご当地検定第2
 大阪府立富田林中学・高校の探究活動「地域研究」と連携
 南河内ゆかりの楠氏研究とタイアップし、検定試験実施(予定

 提案=「楠公多言語音声ガイドサービス網の構築」富士ゼロックス㈱とタイア ップ

□ 楠公ツーリズム推進協議会
 大阪樟蔭女子大学の学生インターンシップ制度を活用し、楠公さんの魅力発信 企画立案
 2019.052020.021年間 429日、プレゼンテーション実施⇒申し込み  あれば実施
 プロジェクトチームに参画の予定

□ 紙芝居「小楠公の母」昭和193月 紙芝居刊行会発行
 産業振興課・鈴木課長から寄贈

次回5月例会は現地学習

日時 514日(火)現地学習
場所 建水分神社正式参拝と扁額閲覧・千早赤阪散策
集合 総合センター午前850分 900分出発 午後430分帰着(予定)
行程 四條畷 → 建水分神社(正式参拝・扁額閲覧) → 楠公誕生地・村立郷土資料館(昼食)→ 寄手塚・身方塚 → 下赤坂城跡・棚田 → 四條畷


傍聴、入会大歓迎!
郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、一緒に学びませんか。
例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです。
お気軽に、教育文化センターの2階ホールを覗いてください。お待ちしております。

正行通信86号はコチラからも(PDF)



教文親子体操教室「修了式」

日時 平成31年3月21日(木)午前10時より
場所 教育文化センター ホール・会議室 
イベント内容 親子体操教室で修了式を行い、修了証の授与をしました。皆さま大変お疲れ様でした。

教文親子体操で「思い出制作」

日時 平成31年3月14日(木)午前10時より
場所 教育文化センター ホール 
イベント内容 親子体操も第6期に入り「卒業制作」として壁掛け小物入れを作りました。
とても可愛く出来ました◎



 
 

四條畷楠正行の会 第50回例会 

日時 平成31年3月12日(火) 午後1時30分~午後3時00分
場所 教育文化センター2階 ホール
<例会の様子>
興奮冷めやらない雰囲気で、例会開催
 この日は、第7回楠正行シンポジウムから3日目という事もあり、興奮冷めやらない雰囲気で、例会が始まりました。
 まず、最初に、39日(土)に開催しました第7回楠正行シンポジウムに近畿各地から大勢の皆様にお集まりいただき、盛会の内に開催できましたこと、ありがたく厚くお礼申し上げます。
 なお、同シンポジウムの様子は、楠正行通信第85号に掲載しておりますので、ご覧下さい。
 ご協力いただきました関係各位にお礼申し上げます。

●第8回楠正行シンポジウムは、来年37日(土)に開催! 乞う、ご期待!
 
この日の反省会では、様々な意見が出ました。
 この反省を活かして、第8回楠正行シンポジウムを企画していきます。来年は、37日(土)の開催を予定しています。
 以下、この日の反省・感想です。
 *回を重ね、楠正行の理解が徐々に進むようになってよかった。
 *初めて参加の人には難しかったのではないか。
 *今まで無料だったので、500円負担して来ていただけるか心配だった。
 *大成功に終わりほっとし、びっくりし、すごく良かった。
 *楠木検定の試験問題を頂けないか、との問い合わせがあった。

 *田原の大きな行事と重なり、友人が誘えなかった。
 *1コイン(500円)の参加費を頂いたことはよかった。しっかりと聞いていただ  けるから。
 *代表の歌がよかった。シンポジウムは続けることが一番の課題と思う。
 *友人に声をかけたが、会場のアクセスが悪く、来てもらえなかった。
 *回を重ねるごとに盛り上がってきていると感じる。
 *シンポジウムの中で、会員も一コマ持てればいいな、と思っています。
 *スタッフが一丸となって取り組むことができて、本当に良かった。
 *四條畷神社の参加がなかったことが寂しい。
 
*若い人に来てもらってよかった。また、有料の500円もよかったのでは。
 *思っていたよりも若い人が多かった。
 *駐車場は、別途確保していただき、145台止まっていた。

 *マイクはリハーサルではうまく行ったのに、触らない方がよかった。
 *関われて幸せだ。映像スクリーン紙芝居を入れてもよかったのではないか。
 *加島副住職の話が面白かった。
 *司会の小向さん(電通大学学生)、よかった。
 *友人から、ボランティア活動(ガイド)に主体的にかかわりたいとエールを送ら  れた



↑ 例会の様子


↑ 例会の様子

<第49回例会の内容>
楠正行通信
◇楠正行通信84号(3月12日発行)
 ・第二夢丸工房のかるた大会、大いに盛り上がる
 ・大河ドラマ楠公父子物語、NHKに誘致陳情
 ・正行カルタの絵札22枚で、映像スクリーン紙芝居「正行の生涯」完成
 ・正行遺児、池田教正と同姓同名の池田丹後の守教正/キリシタン大名・池田  シメアン丹後


◇楠正行通信85号(3月12日発行)
 7回楠正行シンポジウムに100名を超える参加者
 ・加島副住職、143名の過去帳再現プロジェクト発表
 ・
木子准教授、正行と重ねる岳飛の話に感動
 ・内侍クイーンと正行キングに認定証と記念品贈呈
 ・「正四位下検非違使結果和知の守楠公碑拓本掛軸」「楠公父子真筆集」等展  示

(1)第7回楠正行シンポジウムの結果と反省
 *入場者 111
   ご来場ありがとうございました。
 *アンケート選択結果
  問① このシンポジウムはどのようにしてお知りになりましたか

     市広報誌ホームページ   29.0%   
     市チラシ         16.1
     ポスター         3.2
     口コミ          22.6
     その他          29.0

  問② 第1部基調講演への評価
     良い    67.9
     普通    28.6
     不満    3.6

  問③ 第2部対談への評価
     良い    85.7
     普通    14.3
     不満    0.0

  問④ シンポジウム全体にご満足いただけましたでしょうか。
     良い    92.9
     普通    10.7
     不満    0.0


 *アンケート・コメント一覧
○3.9楠正行シンポジウム コメント
 マイク係の大エラーが残念でした。
 熱ある熱い思いが伝わりました。岳飛、宝塚、小林幸子、よかった
 観心寺住職等のお話を(第1回の掘り下げたお話)
 大河ドラマ万歳
 是非大河ドラマ誘致してほしいものです
 時代背景は 楠公祭りが広がれば…
 正行とは直接関係ありませんが、大東市の民話を調べている中で、野崎詣りで有名な「お染久松」の久松の実家は豊中市の浄行寺です。この寺は楠正成の子、正儀の流れの開創です。こんなところでつながっている楠一族が嬉しいです。熱すぎる思いが逆に重くて和やかさが無くなりました。
 「楠正行」名前しか知らなかったので、今日は、たくさん学ぶことができました。大河、ぜひとも実現してほしいです!ありがとうございました。
 四條畷市に住んで10年たちますが、知らないことも多かったです。正行公の生涯ももっと知りたいなあと思いました。
 マイクの調子が悪いので声が聞き取りにくい。話の内容が分からない。
 扇谷様の歌に感動しました。
 絵本、かるた、素晴らしいですね。次は動画〔アニメーション〕くすのきまさつらものがたりを制作していただきたい。お金がかかりそうですが。昔「まさつらくん」というユルキャラがあったはずですが・・・。今こそ「まさつらくん」に復活してもらいたいですね。
 細く長く続いてほしい。継続されることが文化になって行く一番だと思います。
 対談が非常に興味深かったです。深く研究されていてすごいと思いました。
 「ゆずりは」を通して発信していきたいと思います。
 本日はありがとうございました。今後とも期待しています。
 大河ドラマ楽しみにしています。頑張ってください!
 扇谷様より直接お聞きして参加しました。有縁千里来相会という言葉がすごく良いと思った。岳飛のお話も感動した。お話を聞いてかるたを買おうと思った。扇谷さんのお歌が素晴らしかった。楠木検定に通りました。「1級」があまり生かす場がないです。何かしたいと思っています。
 場所、時代が具体的で面白かった。
 楠正行の会をはじめ、多くの方々の正行への熱い想いを感じることができました。ありがとうございました。
 櫻井の別れ前後の正成、正行について
 かるたの活動により人間の真意。活動を続ける、継続の大切さを学ぶ。最後まであきらめない。目標はある。情熱どこかで奇跡生まれる。

 □楠正行かるた在庫状況/311日現在
   寄贈 132セット
   販売 187セット(委託90セット含む)
   委託 230セット
   在庫 561セット

桜井の駅で楠公の宿となった清水太座衛門家子孫:倉田美春さん/富田林で
  櫻井駅跡にあった石標
  「楠公焼 楠公宿陣之家 西一丁余 清水枡太郎」
  清水家に残る掛軸 暦応元年(1338)寅十一月 北朝元号?
  明治341月 桜井の駅康光第19世清水枡太郎所蔵の画を複写
  珍しい、正成、正行ともう一人(恩智左近か)3人の図コピー提供受ける
楠公まつり実行委員会・稚児行列事前説明会でスクリーン紙芝居「正行の生涯」上演
310日(日)、市役所東別館201会議室
100名の子ども・保護者出席
数人の子どもに取材:殆ど正行を知らず出席している
/知っていたのは一人(親に教えてもらった)
楠公まつりインフォメーション
323日(土)16時~ 春宮~心躍る~ タイムズ四條畷駅東/ダンスコンテスト他
324日(日)11時~ 四條畷神社
大阪市立中央図書館で、楠一族に関する蔵書・資料等の展示/3月末日まで
アクセス 四条畷駅→海老江駅 徒歩3分 野田阪神→西長堀 約40
327日 午前10時 四条畷駅集合

田中佳昭さんより情報提供
産経新聞 「親と子の日本史」第1回 楠木正成と正行/上・中・下
平成12821日~23日連載 産経新聞朝刊

産経新聞取材班「親と子の日本史」平成13330日発刊
楠木正成と正行/和泉式部と小式部/親鸞と善鸞/伊達正宗と秀宗/藤原為時と紫式部/観阿弥と世阿弥/荒木村重と岩佐又兵衛/野口英世と母・シカ/永井久一郎と荷風/岸壁の母と息子/吉田茂と健一/豊田佐吉と喜一郎/真田正行と信幸・幸村/野中兼山と婉/幸田露伴と文/与謝野晶子と子どもたち/円谷幸吉と父・幸七/平清盛と重盛/湯川秀樹と父・小川琢治/鉄砲鍛冶:八板金兵衛と若狭/5代目・6代目笑福亭松鶴/花岡青洲と母・於継/一休と後小松天皇/マキノ省三と雅広/北条雅子と大姫/武田信虎と信玄/長谷川等伯と久蔵/特攻の母・鳥浜トメ/江馬蘭斎と細香/藤原俊成と定家/島安二郎と秀雄/「隅田川」の母と子/松方正義と幸次郎・三郎/正岡子規と忠三郎/大石内蔵助と主税/美空ひばりと母・喜美枝 以上36組の親子

次回4月例会 
 49日(火)午後130分に開催します。
 内容 ①足利義満と楠正行
    ②平成31年度大阪電気通信大学連携プロジェクトについて
    ③514日、現地学習 「建水分神社正式参拝と千早赤阪村散策」
    ④その他

傍聴、入会大歓迎! 
 郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、一緒に学びませんか。
 例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです。
 お気軽に、教育文化センターの2階ホールを覗いてください。
 お待ちしております

 
正行通信84号・85号はコチラからも(PDF)


「教文 親子で楽しむコンサート

日時 平成31年3月8日(金) 午前10時30分より
場所 教育文化センター ホール 
イベント内容 ライブ演奏に合わせ、歌って踊れる音楽会を開催しました。
楽曲は以下のとおり
ドラえもん、楽曲紹介、アンパンマンのマーチ、踊るポンポコリン、エビカニクス、YMCA、アンコールまで、みなさんノリノリで終了しました。



 
 

「教文親子体操教室」でお絵描き

日時 平成31年3月7日(木) 午前11時より
場所 教育文化センター ホール 
イベント内容 四條畷市市民総合センターのホワイエ市民ギャラリーの展示に向けて、お絵描きをしました。
大変上手に出来ました。◎



 
 


四條畷楠正行の会 第49回例会 第7回楠正行シンポジウム打ち合わせ

日時 平成31年2月12日(火) 午後1時30分~午後3時00分
場所 教育文化センター2階 ホール
<例会の様子>
「楠正行カルタ」映像スクリーン紙芝居の上演に大いに盛り上がる!
 今月の例会は第7回楠正行シンポジウムの打ち合わせが中心議題だったので、毎月の人物シリーズの勉強会は無く、扇谷からの報告と打ち合わせのみという事で、普段より少しくつろいだ様子で会員が次々と集まってきた
 しかし、始まってみると、扇谷からの報告事項が多く、あっという間に1時間が過ぎてしまい、肝心のシンポジウムの打ち合わせは30分足らずという事になってしまった。
 特に、くすのきまさつらカルタを基に制作した映像スクリーン紙芝居「楠正行の生涯」を上演したところ、予想を超える好反応で、ほぼ全員から、「素晴らしい!」「絵札がよく理解できた。」「子どもたちにも十分伝わるのではないか。」と称賛の声が上がり、今後、会員の誰もがこの映像スクリーン紙芝居を上演できるようによろしく、とお願いする場面も。

NHK大河ドラマ「楠公父子物語」誘致に向けてNHK大阪放送局に陳情
 
楠公ツーリズム推進協議会のメンバーの一員となった四條畷楠正行の会代表、扇谷は、
28日(金)、河内長野市島田市長、高石市阪口市長、島本町山田町長、千早赤阪村松本村長らの首長、そして、観心寺永島住職、如意輪寺加島副住職、湊川神社鈴木女史、住吉大社逸見・小出権禰宜らとともに、NHK大阪放送局を訪ね、角英夫NHK大阪放送局長、半沢、熊谷両副局長、城谷制作部専任部長に大河ドラマ『楠公父子物語』の実現を陳情した。
 この日、扇谷は、絵本(平成29年度制作・6分冊一巻本「楠正行」絵本)、かるた(平成30年度制作・「楠正行くすのきまさつらかるた」、正行像賛扇子、小説「楠正行」を持参してプレゼンテーションを行うとともに、角局長にカルタ・扇子・小説をプレゼントした。
 角局長からは、「この楠公父子物語の大河ドラマ化について、誘致の機運が急速にまとまってきていると感じています。正成については、現代性のあるキャラクターとして認識しています。」等と、非常に前向きのお話を頂いた。
 しかし、他にも全国で50を超える地域から誘致活動があるなど、確約を頂いたものでは決してなく、今後の取り組みの強化と一層の盛り上がりが大切と感じた。


↑ 例会の様子


↑ 例会の様子

<第49回例会の内容>
楠正行通信
◇楠正行通信83号(212日発行)
 大発見! シーボルトが正成を知っており、評価していた!
 ・文政9年(1826)シーボルト著「江戸参府紀行」に残る正成像
 ・嗚呼忠臣楠子之墓に詣で「かの有名な戦士」と正成称賛
 ・正成を、神に崇められた武将とも記す

会則改正・新役員と会計報告
 1月例会で会則の一部改正を行いました。今までの世話人を事務局長に、幹事(会計担当)を会計に変更し、そして企画委員を新たに設け、役員体制を強化しました。また、空席だった会計監査も選任しました。
 新しい役員は、以下の通りです。
 ・代表   扇谷昭
 ・副代表  真木修
 ・事務局長 国府良三
 ・会計   国府文江
 ・会計監査 木村素子
 ・企画委員 楠野国光、土井利勝

●楠正行かるた
 くすのきまさつらかるたの寄贈、並びに販売委託・普及啓発活動を進めています。
 ◆この間寄贈した団体・個人等は以下の通りです。
 四條畷市長、四條畷市教育長、電通大学准教授木子香、島本町長、同市教育長、吉野町長、同市教育長、如意輪寺、四條畷市内学校・教育施設・福祉施設等計73か所、ゆずりは、楠公まつり実行委員会、文化観光協議会、河北病院、御妣会、小楠公偲ぶ会、アイアイランド、四條畷神社、河内往生院、観心寺、河内長野市長、同市教育委員会、千早赤阪村長、同村教育長、建水分神社、楠妣庵観音寺、四條畷図書館、田原図書館、湊川神社、笠置寺、光雲禅寺、NHK大阪放送局

 ◆また、現在、くすのきまさつらカルタを販売している書店・団体・施設は以下の通りです。ご希望の方は、お近くの取り扱い施設にお申し込みください。
 《販売委託先》
 四條畷市立教育文化センター、福助堂、くるみ書店、宮脇書店、アイアイランド
 河内往生院、建水分神社、湊川神社、観心寺、如意輪寺

 各地で楠正行カルタ大会開催!
 寄贈団体や個人から多くの反応を頂いております。
 一部紹介します。
 四條畷南小学校図書室で6年生1クラスで開催
  123日(水)に開催されました。先生からお便りをいただき、以下の通り書かれて
  いました。

 「子どもたちも大喜びで、読む前は、手を頭の上で組み、真剣かつ楽しそうでした。
  先生も参加してくださいました。本当にありがとうございました。」
 第二夢丸工房で開催 質問続出で、1時間30分で14枚の字札しか進まなかった!

  24日(月)、市民活動センター2階で活動する第二夢丸工房を訪ね、かるた会を開
  催しました。利用者約10名でカルタ取りをしましたが、1時間30分で、たった14枚の
  字札しか読めませんでした。何故かというと、私が絵札に解説を加えると、質問が
  続出したのです!
  歴史好きの利用者が多く、活発で、楽しいかるた会になりました。
  また、箱のデザインの花は何の花でしょうかとの問いに、「楠」と初めて正答が出
  ました!

 河内長野市立川上小学校
  観心寺のある地域の小学校です。
  サークル活動の一環で、かるた会が開かれました。
  なお、かるたは観心寺から提供された、とのことです。


くすのきまさつらかるた映像スクリーン紙芝居制作
 絵札をそのまま使い、紙芝居仕立てで「楠正行の生涯」を映像スクリーン化しまし
 た。
 字札と解説を基に語り、絵札が順番に流れる仕掛けです。各学校・施設等に持ち込み、上映会が可能となります!
 保育園や幼稚園でも、かるた取りは難しくても、この映像スクリーンは十分楽しんでいただけると思います。
 この日、試写しました! 結果は、好反応で、ピアノ伴奏等も検討し、本格的に取り組むこととしました。
 ◆上演希望、求む!

 上演希望の団体やグループはご連絡ください。もちろんことですが、かるた大会開催ご希望の場合もご連絡ください。

●楠公ツーリズム推進協議会の取り組みについて
 NHK大河ドラマ『楠公父子物語』誘致に向け、官と民の2つの団体が立ち上がっています。
 「官」は、「楠公さん」大河ドラマ誘致協議会(河内長野市島田市長会長)で、河内長野市、四條畷市、島本町、千早赤阪村、吉野町、大阪市、神戸市、京都市など36自治体が参加しています。
 「民」は「楠公ツーリズム推進協議会」(観心寺永島住職会長)で、住吉大社、石清水八幡宮、四條畷神社、湊川神社、笠置寺、葛井寺、信貴山朝護孫子寺、如意輪寺、建水分神社、観心寺、天野山金剛寺、神戸観光局、大阪観光局、四條畷楠正行の会等の寺社仏閣を中心に約30の団体で構成しています。
 四條畷楠正行の会は楠公ツーリズム推進協議会の一員として、今後、イベント開催や署名活動等、積極的に誘致活動に取り組んでいく計画です。


7回楠正行シンポジウムについて
 この日の打ち合わせでは、39日(土)午後2時~午後4、当日の進行、予算、役割分担、準備物等とその担当等について打ち合わせをしました。
 212日現在、まだ空席があります。
 一人でも多くの皆さんのご来場(四條畷市立教育文化センター)をお待ちしています。
 シンポジウム当日は、楠公碑拓本掛軸(釈文と略解も)、四條畷市小字全図、くすのきまさつらカルタ(掲示額入りと解説)、楠公父子真筆集(湊川神社所蔵データ提供・正行直筆7筆)の展示も行います。
 普段見られない貴重な史料の展示ですので、乞う、ご期待です!
 もちろんの事、第1部、大阪電気通信大学の木子香准教授の基調講演では、くすのきまさつらカルタ制作プロジェクトに参加した学生の制作現場での苦労話や裏話、学生の成長など、若い世代への正行顕彰の取り組みの成果報告があります。
 また、第2部の加島裕和副住職(如意輪寺)と扇谷の対談では、今、正行研究や顕彰の活動がどのように展開されているのか、今後どのような取り組みが企画・準備されているのか、楠正行ワールドの先進事例をご紹介します。乞う、ご期待!


次回3月例会 
 312日(火)午後130分に開催します。
 案件は、39日のシンポジウムの反省と、大阪電気通信大学とのコラボ第3弾(平成31年度事業)の内容打ち合わせ等です。5月は現地学習です。千早赤阪村を訪れ、建水分神社で正式参拝の後、本殿拝観、扁額閲覧、そして村内のゆかりの地、大楠公生誕地、村立歴史資料館、楠公産湯の井戸、奉献塔等を歩きます。


傍聴、入会大歓迎! 
 郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、一緒に学びませんか。
 例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです。
 お気軽に、教育文化センターの2階ホールを覗いてください。
 お待ちしております

 
正行通信83号はコチラからも(PDF)




「第24回 新春ミニ・コンサート」

日時 平成31年1月27日(日) 午後1時より3時
場所 教育文化センター ホール 
イベント内容 新春恒例のミニ・コンサートを開催しました。
第1部では女声四重唱、ひまわりコーラスに続き、バイオリン演奏が奏でられ、休憩をはさんだ第2部では二重唱、オーボエ演奏、ピアノ演奏、みんなで歌おう、女声四重唱と続き、大変盛り上がりました。



四條畷楠正行の会 新年懇親会

日時 平成31年1月8日(火) 午後12時30分~午後3時00分
場所 巣本「かごの屋」
シーボルトの記した「かの有名な戦士楠正成」記述に大いに盛り上がる新年会
 1月、1年の始まりという事で、親睦を兼ね交流を深める目的で懇親会となった。
 昼食を取りながらの正行談議に花が咲くこととなったが、この間の楠正行かるたに関する動きや、3月に迫った第7回楠正行シンポジウム、新たに楠公ツーリズム推進協議会に入り「楠公父子物語」NHK大河ドラマ誘致に向けて招致活動に取り組むこととなった話や、新しい元号となる新年度の大阪電気通信大学との産学連携第3弾企画などをめぐって、矢継ぎ早に喋り捲った扇谷。
 そして、楠正行顕彰に、有名な外国人が「私は楠正成、正行を知っている。」とか「楠正成、正行はこんな武将だった。」などと発言していないか、と調べた結果の一つ、江戸時代の末期にドイツから来日し、日本に大きな影響を残したシーボルトの著作の中に、当時の湊川の嗚呼忠臣楠子之墓を訪れた記録が載るとわかり、取り寄せた書物の一節を紹介した。
 何と、吉田松陰や勝海舟、坂本竜馬などが訪れる30年以上も前の文政9年(1826)に、嗚呼忠臣楠子之墓を訪れたシーボルトは、「かの有名な戦士楠木正成」「神と崇められた武将」と記しているではないか。
 以下にその件を紹介する。出典は、平凡社・東洋文庫87「江戸参府紀行」シーボルト著・齋藤信訳。

<シーボルト著・江戸参府紀行・文政9312日の件>
 朝8時に立ち、たいへん住民が多いように見える町を徒歩で通った。住民はほとんど教養のない様子で、案内人は時々杖を挙げねばならぬほどであった。町筋には普通の小売店ばかり軒を並べ、住まいはみすぼらしい外観をしている。
 兵庫の近くで我々はある長い村を通り過ぎた。歯医者やニセ医者がいるので評判が悪く、歯を抜いた頭蓋が誇大広告と一緒に窓の前に出してあった。
 近くにかの有名な戦士楠木正成の墓がある。
 彼は歯痛の守護神であるから、墓は歯の痛む人人を引き付ける。この名将の墓は、蔭の深い森の中にあり、花崗岩で作られた記念碑が墓所に美しさを添え、その上に神社の形をした小さい建物が立ち、前方に格子がついていて、たくさんの小さい絵馬がかかっている。
 またヒノキを用いて作った小さい三方に、ぶっつりと切り、よく手入れしたマゲをのせ、髪を切った人の名をそれに添えてあるのが、私の注意を引いた。
 楠木正成は船乗りの守護神でもあったから、暴風雨とか難破のおりには船人は祈願を行い、神と崇められた武将に最も大切な自分の髷を供えるのである。

●我々の想像以上に、正成や正行の事績は知られていた証左か
 シーボルトは、文政6年(1823811日、長崎の出島商館医員に任じられ長崎に入り、文政12年(18291230日に日本を去るまでの間、文政9年(1826215日に長崎を立ち410日に江戸到着、そして518日まで滞在し、77日に長崎に帰るまでの旅日記を「江戸参府紀行」として綴っている。
 その中の往路、312日の件にこの一文が入っているのである。
 シーボルトは、何故、楠正成を「かの有名な戦死」と形容したのであろうか。
 幕末の尊王思想や尊王攘夷の運動が激しさを増す以前の江戸時代、遠く異国、ドイツから訪れたシーボルトでさえもが、楠正成のことを「かの有名な戦死」と形容し、かつ『神とあがめられた武将』と形容している事実に、一同驚愕と感動を覚えた。我々が想像する以上に、瓦版や演劇、講談、講釈などの世界を通して広く世間に楠氏(正成や正行のこと)が知られ、認知されていたことの証しではないだろうか、との結論に至った。
 楠正成は、シーボルトをして、「かの有名な戦死」と言わしめた人物・武将であったのである。
 なお、シーボルトは、国家機密ともいえる日本地図を母国に持ち去ろうとして国外追放の身となり母国に帰国することになるが、その後再び日本を訪れ、江戸幕府の顧問として、当時日本を訪れた諸外国との交渉等に助言等を与える大きな役割を果たしている。
 また、日本滞在中に日本人の女性と結ばれているが、その人の名は、「楠本滝」という。ここにも、正成、正行との因縁を感じさせる“姓”が登場する。


48回例会のおさらい
 楠正行通信第82号(1月8日発行)
 正行は顕氏との戦いに終始し、正儀は頼之に利用された
 ・管領細川頼之、宮方を弱体化し義満政権を不動に
 ・楠氏の生き方に汚点を残したか、正儀
 ・後村上天皇の崩御で、立場失い吉野朝で苦境に立った正儀
 ・頼之、中国管領そして四国管領、そしてついに幕府管領に
 ・将軍義詮は、汝のために一子を与えん、と頼之に義満を託す


「楠正行くすのきまさつらかるた」の店頭販売はじまる
 まさつらカルタは、四條畷市立教育文化センターで取り扱っています。
 そして、四條畷市内等の以下の本屋さんにも置いています。
 ■福助堂書店(楠公通り商店街 電話 072-878-1277
 ■くるみ書店(JR忍ケ丘駅前 電話 072-876-5322
 ■宮脇書店生駒北店(山口川バス停前 電話 0743-72-6655

  
↑写真左から、福助堂書店、くるみ書店、宮脇書店生駒北店

次回2月例会 
 212日(火)午後130分に開催します。
 案件は、3月9日に迫る第7回楠正行シンポジウムの詳細な打ち合わせとなります。
 ご関心のある方、手伝ってみようかと思われる方は、ぜひご参加ください。 

 
傍聴、入会大歓迎! 
 郷土、四條畷の歴史、そして四條畷神社に祀られる楠正行に関心をお持ちの方、一緒に学びませんか。
 例会は、毎月・第2火曜日の午後130分から3時までです。
 お気軽に、教育文化センターの2階ホールを覗いてください。
 お待ちしております


正行通信82号はコチラからも(PDF)



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