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             市民教養大学
          
  (全5回)


第1回 市民教養大学「楠正行研究」


 「埋もれていた正行像賛 発見の感動物語!!」

日時:平成27年11月10日 午後1時30分〜3時
場所:四條畷市立教育文化センター2階ホール
講師:扇谷昭
   (元・四條畷市産業振興アドバイザー 現・四條畷楠正行の会代表)


〈今回の講義にあたって〉
現存する史料が皆無に近い楠一族の悲哀
 楠一族の悲哀は、現存する史料がほとんど皆無の状態で、その事実を確かめることが極めて困難である、ということ。
 今回取り上げる朱舜水の正成賛文そのものもこのことに触れている。
キカナ呼載スル者無考信スルルノミレスル盛美大徳耳。

 〜 筆による記録が残っていない。
   証拠によって確かめる確実なものがない。
   よって、楠一族の誠忠は他の誰にも負けないのに
   そのことを賞揚することができない。

朱舜水の正行像賛の発見
 私(=扇谷)は、四條畷の合戦で討ち死にし、四條畷神社に祀られ、四條畷の歴史上、最もゆかりある人物である楠正行のことを、もっと知り、後世にしっかりと語り継ぎたい、この一念。
 だから、正行に関わる一つでも多くの史実を見つけ出し、世に伝え、残したい。
 今回、その一つの発見があった。
 それが、朱舜水の残した正行像賛である。
 神戸湊川神社の「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑陰に刻まれている正成の賛文は、広く世に知られているが、同時に作られた正行賛文はほとんど世に知られていない。
 この正行賛文の存在に正面からスポットを当てた勉強会は、今回が初めてではないか。

江戸期、指導者像としての正成評価を検証
 江戸時代、加賀藩・前田綱紀が狩野探幽に描かせた楠公父子桜井訣別図に寄せた朱舜水の正成賛文、そして、その賛文を碑陰に刻み嗚呼忠臣楠子之墓を神戸湊川に建立した徳川光圀。
 この二人を取り巻く当時の状況を読み解き、江戸期、太平記読みの伝承と、主に加賀藩・水戸藩の儒臣者たちのネットワークによって、武家社会指導者像として正成評価が定着したこと、その結果、桜井父子訣別図や嗚呼忠臣楠子之墓が誕生したことを確認したい。
 そして、幕末の志士たちの導火線となって日本の近世を切り拓いた歴史的事象の精神的支柱となった朱舜水の正成・正行像賛を改めて読み解き、世に伝えたい。
 このことが今回の5回の講座の視点。

〈講義の概要〉
前田綱紀の父子訣別図誕生の背景
 
加賀藩主の前田綱紀が狩野探幽に描かせた桜井楠公父子訣別図、そしてその図に求めた朱舜水の正成賛文は、どのような歴史的背景から生まれたのか。

太平記読みが正成を武家社会の指導者像として仕立て上げる 
 一つは、慶長から元和(1596~1623)にかけて武士・庶民の間に流行し始めた太平記読み=太平記講釈の種本ともいえる「太平記評判秘伝理尽鈔」が、正成を家臣・領民を掌握し、卓越した政治能力を持つ理想的な武家社会の指導者像として仕立て上げるという、正成評価が定着していたこと。

加賀藩、多くの太平記読み伝承者とキーマン奥村顕思の存在
 二つには、その太平記読みの伝承者(免許皆伝者)が加賀・前田藩に最も多く居たことに加え、その家臣団の要ともいえる人物、前田藩家老の奥村顕氏(庸礼)が、木下順庵、松永永三(松永尺五の子)等多くの儒臣と師友関係にあり、木下順庵を朱舜水に引き合わせた仲介者としての記録が残るなど、藩主前田綱紀とその家臣団、そして時の儒臣を結ぶキーマンとして存在していたこと。

●儒臣者らによる南朝正統論の提唱
 三つには、木下順庵、貝原益軒(楠公墓建立前、湊川の楠公墳の荒廃を最初に憂えた)、佐々宗淳(水戸藩・南朝史料調査担当)等と交流があり、朱舜水と師友関係にあった安東省菴(柳川藩)が「日本史畧」を、また室鳩巣(加賀藩)は正成が家臣に教諭する体裁をとった教訓書「明君家訓」を著すなど、南朝正統論が形成されつつあったことに加え、前田綱紀自身が熱心な南朝研究者として南朝正統論に立っていたこと。

●寛文101670軸物完成 同時に正行賛文も残していた
 結果、朱舜水の大義名分論、そして抱えた木下順庵、室鳩巣ら多くの儒臣や奥村顕思ら藩士に伝授された太平記秘伝理尽鈔の影響、加えて叔父徳川光圀の感化を受けた前田綱紀は、南朝正統の確信の下、南朝を支え続けた楠公父子に格別の思いを持つに至り、万治31660狩野探幽に楠公父子桜井訣別図を描かせ、朱舜水の賛文の完成を経て、寛文101670、実に10年の歳月をかけて、ついに軸物として完成をみる。
 この時、朱舜水は、正成のために三首、そして正行のために一首の賛文を書いている。

●朱舜水の正成賛文は、楠公墓建立で広く世に知られることに
 前田綱紀の勤王事績「楠公父子桜井訣別図」に正成賛文を要請された朱舜水。しかし、このことが広く世に知れ渡るのは、徳川光圀によって「嗚呼忠臣楠子之墓」が建立され、その碑陰に正成賛文が刻まれたことによる。
 前田綱紀のまいた種「絵」は、徳川光圀によって見事に開花「墓石・碑陰」する!

↓第1回講義の様子


           ↑36名の受講者が出席


      ↑受講者の中には遠く明石市からの参加者も


  ↑講師の扇谷氏、スクリーンにパワーポイントを写して講義


 次回、第2回市民教養大学「楠正行研究」は、12月8日(火曜日)開講予定です。


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