本文へスキップ

高齢者・子どもたちの笑顔あふれる街 四條畷市立教育文化センターは

四條畷市立教育文化センター
お問い合わせはTEL.072-878-0020

〒575-0021 大阪府四條畷市南野5丁目2-16

 

             市民教養大学
          
  (全5回)


第4回 市民教養大学「楠正行研究」


 「埋もれていた正行像賛 発見の感動物語!!」

日時:平成28年2月9日 午後1時30分~3時15分
場所:四條畷市立教育文化センター2階ホール
講師:扇谷昭
   (元・四條畷市産業振興アドバイザー 現・四條畷楠正行の会代表)

〈講義の前に〉
講師の扇谷が正行研究にのめりこんでいった経過

 扇谷は、四條畷市の観光ボランティアガイド「なわてロードガイドゆずりは」の事務局長を、発足当初から、在籍約8年間にわたって務め、四條畷神社、小楠公墓所、和田賢秀墓等の楠正行ゆかりの地のガイドを通じ、郷土ゆかりの歴史上の人物正行研究に力を注ぐようになる。
 そして、平成23年、長期入院を余儀なくされ、太平記など正行に関する文献を読みあさる事となり、湊川に残る嗚呼忠臣楠子之墓の碑陰に朱舜水作の正成賛文が刻まれていることを知る。
 入院生活中に執筆を開始した「郷土、四條畷の発信力」でも、四條畷の合戦で討ち死にした楠正行の心情に迫る件を盛り込み、同年10月、自費出版した。
 結果、朱舜水作の正行賛文の発見につながった。

〈講義の概要〉
朱舜水作「嗚呼忠臣楠子之墓」碑陰正成賛文を読み解く
今回は、パワーポイントによるプロジェクター映写を使用せず
 
今回の講義は、扇谷が作成した資料を基に、説明を加えながら、全員で学ぶスタイルとなった。
 資料の構成は、賛文の読み方として、湊川神社発行の「大楠公御碑銘賛」を準備、また昭和7年刊・辻村勝著「大楠公の碑文」に記されている読み方も口頭で紹介。略解については、同じく湊川神社発行「大楠公 御碑銘賛」(甲南女子大学名誉教授・垣田時也氏)と茨城県立歴史館元主席研究員・木下英明氏論文「朱舜水の楠正成像三首について」及び扇谷が調べた漢字の意味や安東省菴「三忠傳」との対比等を準備。

朱舜水賛文と安東省菴三忠傳に異動ある事を発見 
 
朱舜水の賛文中、以下の一文があります。

諺云、前門拒狼、後門進虎。

資料:扇谷の注記)
 前門の虎、後門の狼
 ここでは、「前門の狼、後門の虎」と表記されているが、諺としては、「前門の虎、後門の狼」が通例

 前門の虎後門の狼とは、一つの災難を逃れても、またもう一つの災難が襲ってくることのたとえ。
 趙弼『評史』 にある「前門に虎を拒ぎ後門に狼を進む(表門で虎の侵入を防いでいるときに、裏門からは狼が侵入してくるの意味)」から。
 前後から虎と狼に挟み撃ちされては、勇者であってもたち打ちできないということ



 安東省菴は、三忠傳で次のように記している。
 「一賊亡びて一賊在り。
  是れ前門に虎を拒いで後門に狼を進むるなり。」
 三忠傳巻下 楠正成伝 世子正行公の伝 仮名混じり読み下し文:柳川郷土資料解説より
 朱舜水は、前門に狼と記し、安東省菴は、前門に虎と記している。
 朱舜水の思い違いか、それとも、あえて諺の通例を使わなかったことに意味があるのか、悩ましいところ。

●朱舜水の賛文中に、三忠傳からの引用を散見
 安東省菴は、朱舜水に三忠傳を示した。
 朱舜水は、正成賛文を記すにあたって安東省菴の三忠傳を大いに参考にしたと思われ、引用箇所は複数個所で発見した。
 その一つが以下の一文。

古未元師妒前、庸臣専斷、而大将能立功於外

 これは、大楠公御碑銘賛による略解では次のように記されている。
 昔から一番(えら)い人が、部下の功を(ねた)んで妨害し、又、()(しん)が勝手に権力を振ふ状態では、どんな有能な武将でも外で勝利を得るといふ事は、今日までありえないのである。
 (コレハ、足利尊氏が九州カラ攻メ上ツタ時、後醍醐天皇二比叡山二行幸ヲ願ヒ、敵ヲ京都二誘ヒ込ミ周りカラ攻メテ壊滅サセルトイフ楠公ノ計略が、藤原清忠ニヨリ阻止サレ、為メニ正成ハ湊川二出陣シテ尊氏卜戦ツテ討死スルトイフ史実ヲサシテヰル。)


 この件については、藤田精一著「楠氏研究」の中で、安東省菴の三忠傳の中にもほぼ同じ内容の一文が使われているが、これは、「宋史」の岳飛の記中に同様の一文があり、“引用セルは明らか也”とある。
 岳飛(11031142)は、南宋の武将。
 南宋を攻めてきた金に幾度となく勝利を収めるが、岳飛の勢力の拡大を恐れた宰相に謀殺された。後に冤罪が晴れ、1204年には岳王に追封され、後代、救国の英雄として称えられた中国の人物。
 これらの件から、当時の日本の儒学者たちに、中国の影響がかなり大きかったことが読み取れるのではないか。

 時間が足りず、後半はスピードアップしてお話ししたため、アンケートでも、早すぎて分かりにくかったとのご批判をいただいた。15分ほど延長することとなったが、ほとんど席を立つ人もいず、感謝!
 なお、終了後、受講生のおひとりから「正行の賛文に使われている文言の入った詞、『過零丁洋』があります。」と、コピーをいただいた。
 末尾二行は、正行賛文と全く同じ文章。
 作者は文天祥。南宋末期の政治家で、元に最後まで抵抗するが捕えられ、厓山(がいざん)に連行され、ここで宋の張世傑に降伏を進める手紙を書くように強迫されるが、この詩を与え、頑としてこれに応じなかった、とされる。文意は、「どうせ死ぬなら、至誠忠義の心をしっかりと世に残し、長く歴史に輝かしたいものである。」
 また、文天祥は日本の幕末の志士たちにも大きな影響を与えた人物で、藤田東湖や吉田松陰らによって模擬作も作られている。資料、ご提供ありがとうございました。
 次回は、いよいよ最終回。
 3月8日(火)、午後1時30分~。
 朱舜水が残した148文字からなる正行賛文を読み解く。

 

↓第4回講義の様子


          ↑熱心に聞き入る受講生


           ↑笑みも見られる


       ↑扇谷の説明を聞き、資料に目をやる受講生


     ↑誰一人眠る受講生なく、熱心にメモを取る受講生


           ↑講師に集中する目線


   ↑扇谷が集めた資料を紹介しながら、講義は100分を超えた

四條畷市立教育文化センター四條畷市立教育文化センター

〒575-0021
大阪府四條畷市南野5丁目2-16
TEL&FAX 072-878-0020
指定管理者
阪奈エンタープライズ株式会社


メール
ご意見・お問い合わせ


プライバシーポリシー